児童養護施設その後

2016年07月25日
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児童養護施設のこと
自分のトレックのクロスバイクはメンテナンスに出しているが、気候が涼しげであるのでシティサイクルのマークローザで渋谷まで呼吸法の稽古に出かけてみた。なんだかんだで往復50キロを超えるが運動だと思えばどうということはない。なにせカロリーだけで走っていくんだから大変なエコだ。わたしのマークローザはけっこう手が入っているのでぱっとみたらどこの自転車かわからない。軽量化して14キロになっているのでそこそこ走る。今日は道すがら池袋の自転車屋でドリンクホルダーも装着した。シティサイクルにはアダプターを介さないと着かないので着けている人は滅多にいない。わりと格好いいね。

児童養護施設を辞めてもう3ヶ月になるのだが、かつての同僚とか子どもからわりと連絡が来る。わたしが辞めた時期を境に雰囲気がだいぶ変わってしまったという声が多い。これはわたしの影響力という話ではなくて、わたしが勘がいいから雰囲気が悪くなる前に去ったというのが正解なんだろう。

わたしも長いことサラリーマンをしていたので施設長の考えていることはわかる。彼はまだ50代半ばで子どもが小さい。確か小学生だ。たぶん家のローンも払っている。別に施設のオーナーではないので辞めたら無収入だからなんとしても70歳くらいまでは施設で働き続けないと困るんじゃないかと思う。そういう視点で考えるとどういう施設運営が望ましいか? 管理を強めて問題を起こさないようにし、上位機関である児童相談所の覚えもめでたくして自分の政権を盤石のものとしたい。できれば現場で完結してまったく問題が起きないようして欲しい。ハルトモみたいな人間でもない限り誰でもそう考えるだろう。

施設長がどう考えているか? 実のところはわたしは知らない。だがこのように考えると彼の言動がすべて説明がつくからそうじゃないかと推測せざるを得ない。そもそも子どもをどう扱ったら良いか? 別に正解はないのである。どのような扱いをしてもネガとポジがあるし、管理側に都合良く運営しても子供たちのためだと、いくらでも言い立てることはできる。基本的に児童養護施設はわたしがいた50年前とさほど体質は変わっていない。管理する側つまり大人の都合でどうにでもされるのである。ただ表看板は子供たちのためにと、、これは政治と同じだ。国民のためにと、異口同音に政治家が叫ぶのと変わらない。人のためにと言う人間は基本的に眉唾であると思ったほうが良いのがこの世の中だろう。

そういう施設で育った子供たちが可愛そうだと思うのはこれはまた必要ない同情だとも言える。どんなに施設の環境が改善されようが施設にいるということ自体が普通ではないのである。子供たちにとっては試練である。施設にいて幸せなんてとうてい思えないのである。だからその試練を生かすような心構えを持てと、それに尽きる。納得のいかないことが多いのは当たり前である。そこで自分はどうするか?自分で考えろ。それがわたしのメッセージであった。

自宅まであと10キロだが、交通量も多くてさすがに疲れた。オープンカフェになっているマックがあったのでそこでコーヒータイム。マックというのは私は別に嫌いじゃないが、客層が悪いというかわたしにあわないので避けている。とくに夏休みはあかん。だがここはわりと落ち着いた雰囲気だ。100円でしばし休んだ。さてもう一踏ん張りカロリーを消費しようか。
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Comments 2

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tootisugari  

No title

ハルトモさんを採用して雇用した。これは施設長の慧眼でしょうか。

2016/07/25 (Mon) 19:57

ハルトモ  

No title

さてどうなんでしょう? 変なの雇って後悔してましたよ。うまく辞めさせて喜んでいると思いますが、、

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