常識を疑う、では不十分

2016年07月24日
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人生の考え方
昨日はゴルフ仲間のやまさん、ヒロシ君、あまさんとのラウンド。彼らと回ると力んでメロメロになるのが最近の負けパターンだがその通りになった。みんな70台とか80ちょっとで回るのわたしだけ90叩くんだからお話にならない。それでも涼しいのでラウンドは快調だ。結局2ラウンド36ホールを楽しんだ。これで今月7ラウンドだ。ゴルフの中身はお粗末に尽きる。やっていて情けない。でもあまさんから下手なくせに愚痴を言うなとたしなめられた。落ち込んでいるのに落ち込むそぶりを見せないのは難易度が高いや。

今月はこれで7ラウンド、来週もやるので予定どおおり8ラウンドになる見込みだ。これだけやってんだからそのうちいいスコアが出るのかな? でも下手でたくさんやっているけどずっと下手って人も多いよね。わたしの頼みはかつて5までオフィシャルハンデが行ったてこと。でもそもそも下手になったのが戻るものなのか? まあ十分時間をかけてまた上達しようという気持ちでやればなんとかなるだろう。

古い友人が「嫌われる勇気」という本を読んで、「いやー考えさせられた、お前も読んでみろ」とかメールがきた。わたしは名前は聞いたことはあるが題名で読む気がしない。たぶんわたしにとっては当たり前のことが書いてあるだけだ。そもそも勇気さえ要らんだろう。普通に自分の思う通りにしていれば良いんじゃない? そのどう思ってどう行動するかは自分自身で考えて決めないといけないけどね。わたしの語彙でいうと詰まる所「美意識」自分なりに格好よく生きたいね。その格好よさも自分で決めればいいのだから、ある意味楽なんだけど。

自宅そばのマンションは予定どおりお義母さんが住むことになった。もう友達に触れ回っている。便が良いところに広々したマンションだから絶好の友人の集会場になるだろうし、親戚友人だって泊まれる。荷物もさほど持ち込まずすっきりしたマンションは人を呼びやすい。戸建ての自宅は慌てずにそのまま置いておくようにお義母さんには言ってあるので安心してくれている。利回りだとか資産運用だとか、そんなこと言っても年寄りをせかすだけである。穏やかに暮らせるのが一番である。

嫌われる勇気の話しに戻るけど、その知人とのやりとりで思ったのは、普通の人は正しいと自分で思っても割りきってメリハリつけられない。人の目、他人の評価が気になるから思い通りできない。あるいは最初から自分の思うところがない、弱い。一方他人の態度にイライラハラハラするという性質もある。

こういうと傍若無人で身勝手に振る舞うと勘違いする人もいるけど、そうじゃない。例えばわたしは児童養護施設でしばらく働いていたけど、子供と一緒に暮らすから子供のことをいつも考えている。園長とか同僚がそれに反することを言うと、そこで園長からどう思われようがわたしは自分の考えを貫く。園長との妥協を図ろうなんて基本は考えない。もちろん適当に如才よく接するテクニックくらいある。よく考えて自分なりの考えに対する強い確信があるから基本はそこ。そして自分の選択の結果どうなってもその結論を受け入れるハラがある。別に世の中それほど怖がることはないのである。

では子供を喜ばすことが一番かというとそうでもない。わたしは別にこどもの人気取りなんてしない。わたしを嫌う子どももたくさんいた。それが良いと自分で思うというのはそういうことである。どっちから嫌われようがそれで良いのである。

会社でも同じだった。社長はお客との約束を反故にする半ばインチキをしようとした時にたった一人で立ち向かって社長を恫喝したこともある。社長はわたしの脅しに屈して手を引いたが、きっと恨んだだろう。自分の後継者だと次期社長だと言っていたのに次第に距離を取るようになった。それがなんだである。おかしいことに唯々諾々と従って地位や金が欲しいとは思わない。

それでどうなるか?と思われるかもしれないが、あまりひどいことには案外ならない。これはやってみるとおわかりになりますよ。こういう人間が好きだとか、陰ながら応援したいとかそういう人間もけっこういるのである。事実こうやってハルトモ君はとても幸福感に包まれて生きている。

それとだ、自分をよく磨くことだ。ハルトモ君は才覚溢れる人間で、人の評価なんて超えるくらいの実績をあげるし、投資でも稼いだ。人は一人では生きられない支え合っていきるなんてことはよく言われる言葉だが、それはその通りなんだが、自分が一番努力するという主体を毀損した思考に結びつきやすいからそこはよく考えないといけない。やはり自分というのは頼りになると、こうでなくっちゃ。その上で人様ですよ。

最悪なのは最初から自ら考えることを放棄している人間だ。とても多いけどね。上の言うことは正しいものと思い込んだり。「社長の言うことだから従うのが当たり前だ。嫌なら組織を出ていけばいいだろう。」このセリフがなんかまともそうに聞こえる人間は注意したほうが良い。別に組織はトップひとりのもんじゃない。社長がいつも正しいわけもない。だいたい出て行くのも自由居直るのも自由だ、自分で決めれば良いのである。あるいは向こうが追い出そうと決めるかもしれない。それならそれで良い。向こうが決めることは勝手に決めれば良い。こっちはこっちで自由に決める。

ということで、いくつかもまともそうに聞こえる言い方を引用してそれに対して疑問を表した形になっているが、常識を疑うというのも、実はそれも違う。常識を疑うのでなく、自分で考える力である。でないとただの臍曲がりにしかならない。常識という他人が作り上げた思考から離れているとは言えない。自分で考えてそれでその考えを世間の常識と比較するのである。そしてどうするか? 自分で決める。バカな常識をうまく利用すると案外世の中うまく抜けられるという側面もあるしね。
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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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