投資の弟子を募る

2016年07月19日
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家のこと不動産投資のこと
ハローワークには今日は自転車で行った。9時過ぎに入るとすでに一杯で座るところを見つけるのも大変だ。来ている人間のほとんどはどうやら失業の認定のようである。失業状態を認定してもらってそれで失業給付を頂くわけだが、来ている人間を見渡すとどうもわたしと同じくらいか少し年下じゃないかなと思える人間が多い気がする。明らかな年輩者はあまり見えないのはもう失業給付は終わっているということかな?50代半ばで失業状態という人たちの顔色は総じて冴えない、とまあ先入観でそう見える。名前を呼ばれても返事の声は小さいが、当たり前だ。元気よく返事する場所じゃない。わたしだって大きな声で応答しない。わたしは受給開始の手続きなのですぐに呼ばれた。来月早々に雇用保険説明会に来てくださいと冊子を渡されて終わり。実際の求職活動は説明会の後ということのようだ。わたしは過去に介護休業補償も受けているし、雇用保険も受給するということでサラリーマンとしての法的な保護は完璧に受けている。サラリーマンの嫌な部分は味あわずおいしい部分だけ堪能したとても幸せなサラリーマン生活であった。

さる不動産のブログを読んでいるが自分の弟子を募集するという。不動産投資の弟子ということである。その人は株ではうまく行かずだいぶ損したらしい。結論として素人は株は絶対儲からないと言い放つ。まあハルトモ君のような人間は例外なので、ほぼ絶対儲からないで結論はいいんだろうとは思う。それで不動産分野に進んでそれで割とうまいこと行っているそうなんだが、それで今度は弟子を募ると言う。自分の言うとおりにする人間でなきゃダメだという。

これはどういうことかと言うと、自分がうまく行ってそのやり方を誰かに伝承したいという欲求があるということかな? 自分の正しさをなんらかの形で再現して証明したい欲求と言ってもいいだろう。さらに言うなら自分の言うことを本当に守れる人間なら儲かるという確信があるのかもしれない。それがまさに自分のレゾンデートルと言っていい。これは株で成功した相場師にも共通した感覚だと言う気もする。あらなみさんとか猫次郎さんとか、あるいはベトナムさんだって、なんか無理だろうっていいながら、少ないとは思いながらも自分の道を踏襲する人間に探している節があって、投資家をみる目の底に優しさが現れている。これがハルトモには全くないのね。欲の皮の突っ張った人間はみんな負けろって思ってるもん。わたしの真似ができる人間もいない、ってこれは確信している。だから教えようなんて気はまったく起きない。もっとも教わろうという人間もいないけど。

その一方でわたしは児童養護施設の子どもにはなんだかやはり愛想がつかせられないというか気にかかる気持ちがある。これは何故かと言うと、つまりだ、人間というのは自分が苦労した経験で同じ苦労をしている人間に親近感を感じるということじゃないか? だとするとわたしは児童養護施設にいて子どもの頃劣悪な環境にあったことをむしろ好ましいと思えてくる。それがわたしの生き方にも影響を落としているからだ。安部首相なんてどういう人間に愛着を感じるかと考えるとぞっとするもんね。ということで、おのれの経験を無視しては生きられないのが人間ということだろうというの今日の結論。
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Comments 2

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白猫次郎  

No title

>これは何故かと言うと、つまりだ、人間というのは自分が苦労した経験で同じ苦労をしている人間に親近感を感じるということじゃないか? だとするとわたしは児童養護施設にいて子どもの頃劣悪な環境にあったことをむしろ好ましいと思えてくる。それがわたしの生き方にも影響を落としているからだ。安部首相なんてどういう人間に愛着を感じるかと考えるとぞっとするもんね。ということで、おのれの経験を無視しては生きられないのが人間ということだろうというの今日の結論。

これですね、僕とハルトモさんが似ている所があるとすると、、。

2016/07/21 (Thu) 11:51

ハルトモ  

No title

似ているところはなくても、話が通じるというのは大切ですよね。

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