遅れて咲け

2016年04月18日
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児童養護施設のこと
施設の桜は枯れ木状態で今年は咲かないのかな?と思っていたらようやく咲き出して今が満開となった。児童養護施設に相応しい。遅咲きの桜。わたしも遅咲きの桜だった。もっとも散らないから桜じゃないか。わたしが若い頃は親戚中でもわたしは放蕩息子の栄一の息子だしろくなことにはならんだろうとそれでわたしを問題児よろしく避ける雰囲気があった。今はわたしの世話になっているシゲちゃんだってわたしと縁を切ろうとしていたが、今となっては私に頼り切りである。誰もわたしがまともな人間になると思っていなかったのだ。子どもの頃から施設に入ったり家庭もおかしくてそれで反抗的でかわいげがないハルトモ君だったから、そういう評判となったんだろう。彼らに見る目がないというのではなく、彼らではわたしのことを見極められなかった、と結果論で言えばそういうことになるが、まあそれが普通だ。

今は施設にいてもろくでもない反抗児で身勝手なこどもがひょっとして将来化けるかも知れない。可能性は低いがわたしくらいになる人間は千人万人に1人くらいはいるんだろう。その人間がひょっとしてわたしが担当したこどもである可能性はゼロではない。宝くじでも買った気分でのんびり待つというのは悪いもんではない。メルセデスにでも乗って施設に慰問に来たらわたしも呼んで欲しいものだ。そしてたっぷりと成功した姿を子どもたちに見せつけたら良い。どこぞのひねた老人のように、あいつ自慢ばかりしやがって、と妬むのは自然なこどもの姿と対極である。子どもたちは、おれもなるぞと決意を新たにする。わたしが施設にいた3年半で公然と金持ちになりたいという子が増えてきた。これをどうみるかはいろいろ意見はあるだろうが、正直でよろしい。人間というのは大人になるにしたがい、分別を身につけるがその目的は打算にほかならない。あるいは謙虚であるのが美徳であると思いこみ外面を繕う。だが己の内面の醜さを覆い隠しただけである。どんなもんだか一度稼いでみれば良いのである。そうすれば本当の意味で自慢しようがしまいがどうでもいいことだとわかるようになる。それまで妙に繕わず、金持ちになりたい、でいいじゃないか?

今日はさいたまから渋谷まで自転車で往復した。往復で55キロほど。ただストップアンドゴーが多くて交通量もあるので、たぶん田舎のサイクリングロードよりずっと疲れるはずだと思う。荒川の自転車道を走っていたらどこまでも行けるような気がする。たぶん一日100キロくらいは十分射程内だと思うが、琵琶湖は160キロである。一泊すればまったく問題ないがもっと脚力を付けて一日で回りきりたい。ということで琵琶湖の前に浜名湖で練習しようかと思っている。大阪のいけちゃんが一ヶ月くらい後に来いと言う。向こうにも都合があるんだろう。よくわからんがそう言うならそれでいい気がしてきた。古い友人にメールを打ったら返事が来る人間と来ない人間がいる。返事が来ないなら別にあわなければよいことである。なんか理由があるんだろう。ハルトモとは会いたくない? まあそれでも別に構わない。わたしが自転車で渋谷まで行ったとこどもたちに自慢すると、よーしおれもやるぞって子どもはいない。呆れた顔でよくやるなこのおっさん(じいさん)て顔をする。子どもたちだってこっちが自慢していてもちゃんと自分で目標を選ぶのである。だから適当に自慢しておいて、あとは子どもたちに選ばせば良いのである。生きていることはすばらしい作業である。そう確信する姿もまた子どもたちの目にどう写ったか、それは数十年後にどうなるかであろう。
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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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