論点

2016年04月11日
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人生の考え方

あるテレビの討論番組で選挙権年齢の引き下げの是非を議論していて、そこで18歳19歳の男女を何人かスタジオに集めて意見を言わせていた。録画で年輩者がどう思っているかのインタビューが流れる。まだ18歳19歳ではほとんどは親のすねかじりで考え方も子供であるから投票権なんていらない。なんて声が出る。それに対してスタジオの18歳19歳が猛反発である。18歳19歳だからと言って一概に子供だとか言うのはおかしい。しっかりとした人間もたくさんいる。一方年を食っていても幼稚な人間はいくらでもいる。個人個人で違うだろうと。

言っては悪いがこういう応答をするのであればまだ子供である。まずインタビューでどう言っていおうがどうせテレビディレクターのバイアスがかかっている。さらにそれより大切なのは、今日のテーマは選挙年齢18歳か20歳かの話である。それが論点であるなら個人差をすべて含めて、どっち?という話であるから個人差の話をしても意味はない。個人差があることなんか最初からわかっている。年齢は問わずしっかりとした人間にだけ選挙権が与えられるわけではないのだ。ということでやはりテレビに出てきた人間は子供だなという印象をわたしは持った。ひとりくらいわたしが言うようなことを言える人間はいないのかな? わたしは18歳の時にどうだろう? 私は集団や組織に対する帰属意識が低いので自分の所属する集団のことを悪く言われてもなんとも思わないし、論点を重んじるのでやはり今の意見を言ったと思う。

論点をわきまえれば言うことが変わってくる。表現も変わってくる。これは当然のことである。これがわからないとつまらない揚げ足取りなったり、あるいはおまえは言うことが以前と違うじゃないか?と憤慨する輩がでてきたりする。話には流れと立場と論点とがあるものなのだ。君子豹変す。という言葉がある。これは状況に合わせて臨機応変、過去の自分に引きずられないし、また論点、すなわち現状大切なことはなにか? がきちんと押さえられているという意味であろう。

わたしは君子ではないことは間違いないが、ずいぶん豹変すると言われてきた。以外と学歴の高い人間がこの豹変を嫌う。自分の評判を気にするからであるがいわゆる植物的である。動物的であろうとすれば、生きるための身のこなしは豹変を持って常とするくらいでないと動きを見破られて自分が餌食になる。ギャンブラーとか相場師とか、そんなノリだが、だがその豹変の中に一本筋が通っていないといけない。その一本の筋がどういうものか、それはうまく説明しにくい。わたしとしてしっくりくるのは美意識である。己の美意識で生きるのである。結局何度も述べてきたことをまたいうだけなんであるが。

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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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