テロとの戦い

2016年03月27日
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政治経済
フランスの大統領を始め西欧諸国首脳がベルギーのテロにあたりこれはヨーロッパに対する攻撃だと訴えていた。そして犠牲者に対して最大限の弔意を表明していた。犠牲者に対する哀悼の輪は世界規模で報道されている。そんなことになるとは思いたくもないが、今の日本の政治を見ているといつか日本もテロの標的になるのではないか?とまじめに心配するのはそれほど荒唐無稽ではなくなってきている。もし仮にだ。日本でISの手によるテロが起きたら、、アメリカの大統領や欧州の大統領が沈痛な面もちで日本をテロに対する戦いの仲間と呼び、弔意を表しつつも徹底した戦いを鼓舞するのではあるまいか? それはとても恐ろしく、そして居心地が悪いとわたしは感じるが、日本人の多くはそうは思わないのだろうか? 日本はそういう方向に進んでいるという実感があるなら日本人はそこは考えないといけない。 わたし個人は西欧諸国からそんなふうに扱われたいとは思わない。西欧諸国が日本をどう見ているかは歴史的に見ても知れる通りである。世界の様々な国をさておき特別な仲間と呼ぶには無理があるように思う。

どうしてテロが起きるのか? わたしがここで専門家でもないのに云々する気はないが、テロリストとイスラム教徒は全くの別物であり両者を区別すべきという有識者のコメントがマスメディアに溢れる。テロリストたちが犯罪集団だとしてもあるいは軍事行動だとしても、罪もない市民が犠牲になったということでこれが怒りの原点となっているが、さて欧米諸国の軍事行動は果たしてテロリストと一般市民をどれだけ区別して行っているのか? 空爆で空から爆弾を撒いたりしているようだが、テロリストにだけ当たる仕掛けがあって一般市民は当たらないとは聞いたことがない。事実すごい数の市民が犠牲になっているという情報はいくらでもあるし、死人だけでなく難民となり家も生活もすべて奪われて、どう見ても中東にいる一般市民のほうが酷い目にあっているようにわたしには感じるが、それが世界的な非難と哀悼の対象にベルギーやパリほどにはなっていないのはなぜだろうか?少なくともイスラム諸国の一般市民にも、パリやブリュッセルの市民にも同じ程度の哀悼の念をわたしは感じるがこのあたりがずいぶんと世界的には偏っているような気はしている。

欧米諸国の首脳がテロリストたちを抹殺するためにはある程度の犠牲は致し方ないともし考えているなら、それは原爆や東京大空襲での日本人市民大虐殺を彷彿させる。日本の軍国主義を抹殺するために一般市民が100万単位で虐殺されたが歴史的にはそれは必要なコストであったと、そういうことになんだかんだでなっている。やられた日本がアメリカに一生懸命尻尾を振っているんだから。アメリカだってあれで良かったんだと思うだろう。

わたしはここでイデオロギーや政策の是非を語る気はない。ただなんとも言えない気持ち悪さとおぞましさをテロとの戦いの仲間に入っていくことに感じていると言いたいのである。この奇妙な感覚を日本人は内部でよく咀嚼して納得づくで政府を支持しているのならそういう国だということでまあそれはわたしがここで騒いだところで意味もないが、日本人がそこまで賢くもしたたかとはやはりとうていわたしには思えないのである。

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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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