彼は施設で住み込みさせたらどうだろう?

2016年02月21日
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日々の雑感ーリタイアライフ
児童養護でも老人養護でも社会福祉という仕事は弱者と関わりあう仕事である。人間社会というのはどんな仕事をしていても強い弱いはあるのだが この強弱の差がきわめて大きな業界である。ここに難しさがある。普通の会社にいても自分が強くてとても弱い人間ばかりが周りにいると、だいたい人間というのはちとおかしくなる。自分の正しいと思う理屈を知らないうちに押しつけるようになる。自分は押しつける気持ちはなくても、ひょいと出せば相手は従うしかないのであればそれは結局押しつけているのである。会社で出世するほど部下に苛烈になっていき最後社長にでもなろうものならどうにもならんという人間はたくさんいる。家庭も同じである。子どもを虐待するのは子どもが自分よりはるかに弱いからである。もちろん弱い者いじめをする人間の人間性という問題はあるが、弱い相手をいじめる人間の比率は相当高い。程度とやり方の差と言っても良いくらいだろう。人間性の問題というより人間はそういう生き物と考えるべきだろうと思う。

会社では長い下積みもあるだろうし、そんなパッと偉くはなれない。だから弱者から始まって弱者の気持ちを知る機会もあるが、児童養護でも老人養護でも、ひょいとその仕事に入ってくれば、そこには自分よりはるかに弱い人間がそこにいる。わたしが今いる児童養護施設はわたしが前にいた会社よりは心優しい人間が多い。人間性という言葉を出してもむしろ一般の企業より下とも思えない。ただ心優しい一方で自分もまた弱いという厳然たる事実がある。メンタル的に弱い人たちばかりがいる業界である。自分が強くないと相手に優しくするのはとても難しくなる。この業界の人たちは全般的に情念的であり論理的思考能力は高くない。そこで起こることは一見優しいという子どもたちへの接し方である。一見優しいように見えるが、、、、実は、、、という現象になっていく。やっている人間はほぼ全員自分が優しくしていると思いこんでいる。自分のしていることをこれで良いと思いこむ。もし否定されたら?変えろと言われたら?弱いのでそれは耐えられない。だから変わっていくエンジンがどこにもない。この業界のありようがわたしが施設にいた50年近く前とあまり変わらないのはこんなメカニズムだと思っている。

清原君は一年くらい少年院に入所して子どもたちと一緒に暮らさせるというのはどうだろう?通うんじゃなくて一緒に暮らす。野球しか脳がないのであれば野球をこどもとすれば良い。少年院でなくても問題児を多く預かる児童養護施設でも良い。問題児を多く抱える施設は中に学校から備えていて子どもたちは施設の中で暮らしている。どこかで読んだが彼は子どもが好きらしい。自分の更正とこどもたちの更正と一挙両得じゃないかね?日本では社会福祉活動という命令を罪をおかした人間にできないようだけど、個々の人間にはそれぞれふさわしい更正の道があるような気がする。

わたしは自ら選んで民間企業から児童養護施設にきたけど、なんとなく人間的には更正したって気がしてんのね。すこしはまともな人間に近いづいて行っている気がする。恩返しという言葉は使っているが自分の垢を落としたっていう贖罪気分も正直ある。彼のようにある道で成功した人間が児童養護の現場に来てこどもと暮らすということは、彼にもプラスだし、もちろんこどもたちは大喜びだろう。志願して入りたいなんてね!それは困るけど。

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Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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