経済的自由と精神的自由

2016年02月09日
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サラリーマンライフ




iTunesなどパソコンを音楽ファイルのセンターとして使っている人は多いと思う。アップルミュージックでもアマゾンミュージックでも配信サービスを主力に使うようになるとiTunesで管理する意味も必要もなくなってくる。クラウドがセンターファイルで欲しい物はなんでも引っ張ってくれば良いからだ。

家にいてもMacを開く頻度は確実に減っている。モバイルキーボードも上質なものを選らんではいるが、Appleの純正キーボードを使えば入力の滑らかさはMacと全く変わらない。外に出るときはモバイルキーボードで家にいるときは純正キーボード、別にひょいと上に置くだけである。

大学の教授、准教授は日本に10万人いるんだそうだ。教授というのが7万人、准教授が3万人。そんなにいるんか?という数字である。それだけ教授がいるのであればテレビで思うように話してくれる教授を探してくるのは容易であろう。教員が足りる足りないという話はよく聞くが教授が足りないという話は聞いたことがないしね。

それだけいるのにわたしは知り合いに教授はいない。医者とか弁護士にはコネがあったほうが良いが教授と知り合いでも別になにか役立つということは思いつかないからそれで不都合はないのだが、わたしの人生はそういうアカデミックな世界とははるか遠いところにあるということなんだろうな。

児童養護施設で働いているとたまに福祉関係の大学の教員の話を聞くことがある。意外と現場を知らんなというのがわたしの印象である。わたしなんかたかだか3年くらいの経験でもその教員より迫力ある能書きが言える気がする。このブログに書いているようなことだけどね。先日園長を罵倒したのだが、わずか20メートル、現場に出てこい、あなたは現場がわかってない。そういう趣旨の話をした。園長と言えども現場を知らない。施設の外に居たら何をか言わんやであろう。

わたしは現場が好きな人間だけど、それは自分ができることがたくさんあるから現場にいたほうが好きなことができるという意味でそれで現場が好きである。聞いたようなセリフに、人間は一人ではなにもできない、それが組織となって動くことで、大きな力が生まれる。よく考えてこのセリフを言っているのだろうか? とわたしは思う。わたしは一人の人間というのは凄いことができると思っている。かなりのことでも別に組織にせんで数人でできると思っている。長年組織で働いてきて、個々が集まって大きな仕事をするのはそれは人手仕事であるにしても、その一方で個々の能力を封じ込める弊害をたくさん見てきた。特にわたしのような能力が高い人間は弊害を大きく被るからそれではつまらんと思った。

でもって至った考えは、組織のために働くではなく、組織を使うであった。ただ一定の距離感があって組織には頼らないし自分のために利用する気もない。現場から組織を動かすことができれば最強でかつ一番おもしろいのであり仮に組織が動かなくても自分でできることをやっておけばそれはそれで楽しいということ。会社でもずっと軸足を現場に置いてきた。事務仕事や会議は多かったが、これは移動中でも出先でもやりようはいくらでもある。だからこそのモバイルオタクであった。ゴルフしながらだって会議はできるのである。

相場を張る目的に経済的自由を得たいというものが大きくあると思う。そして経済的に自由を得ればきっと気持ちもおおらかになって精神的な自由も得られるのでないか? そういう順番で物事を考えるとしたらちと違うのではないかとわたしは申し上げておく。せせこましい精神は少々の金ごときでは解放されないのである。だがそれに気づく人はほとんどいない。経済的自由を相場で得る人がほとんどいないからだ。仮にうまく行って大儲けしたとしてもなんか満たされない。精神が満たされない人間はそこでまた考える。もっと金があれば良いのではないか? それで続ける。そのうちひっくり返る。

ひっくり返らなかったらどうなる? 結局精神はそのままだ。金が増えから比例して精神は進化せんのである。以前どっかのブログで相場道とか書いて精神論とごっちゃにしている人間がいた記憶がある。そういう人間は勝手に一生儲けてればよろしいが、マネーゲームに道なんてつけるもんじゃないと思うね。まあ向こうに言わせれば、勝手にほざいてろだろうな。確かに個人的にはマネーゲームはおもしろかった。わたしも嫌いじゃないほうだ。趣味とは言わないが実益もある。でもそれだけのことだ。

テレビに加藤茶が出てきて、それで一般の家庭を訪ねて、その人間から宝くじ10億円当たったらどうしますか? て聞かれて、それで加藤茶が、うんもうお金があったらどうと考えなくなっている。って答えた。もちろん加藤茶は相当の金持ちだからそういう心境になるんだろうし、金で済むことならもう好きなことをやっているんだろうけど、これは得るものを得たから感じるものだ。どの程度金を得ればそういう気持ちになるかは個人差があって、わたしはどちらかと言うと、なるべく少ないお金でその境地に達したほうが、それはそれだけ早く達するわけだから、人生満ち足りた時間が長くて楽しいと思う。そのためには精神が金とは別に解放されることだ。もちろん金は金で困らんくらいにはあったほうが良い。金と心は線路のようなもので近いものではあるが決してひとつにはならない。そんな風に思ってます。
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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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