感受性には方向がある

2016年01月26日
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日々の雑感ーリタイアライフ
我が家に娘の大学の友人が8人もやってきて娘を入れて計9人で鍋パーティを開いた。何人かは泊まっていった。大きな家でもないが、夫婦は上に上がってしまえばもう会うこともないので勝手にやってくださいである。娘がどこかに遊びにいかれるよりよっぽど安心できる。いつでも我が家でどうぞと言っておいた。迷惑そうな顔を少しでもすれば2度と来ないだろう。放っておくのが一番である。

だが若者というのは本当によく話すね。よくそんな話すことがあるなと言うくらいに話す。自分が学生の頃もそう考えるとよく友達と話していた。たくさん話した質と量でその後の一生の付き合いの密度が決まるような気さえする。大人になってからではなかなか親友ができないのはそれだけのコミュニケーションを質量ともに取らないからだろうね。大人になれば互いに相手の領域にずかずか入り込んだり入り込まれたりするようなコミュニケーションは取らないからその分本当にわかりあうということもないし、またその必要もないのが大人になるということかな。だから大人になって寂しいとずっと寂しいことになる。わたしは家族といい古い友人といいわりとたくさんいるので寂しくない。

10人いて1人2人から好かれても8人9人から嫌われるとよろしくないのが組織人である。わたしはと言うとユニークな組織人で敵をたくさん作った。わたしのブログを読んでわたしが攻撃的な人間だと思っている人がいるかもしれないが、わたしはよく知る人間はそうは言わない。実際わたしは荒々しくもないし攻撃的でもない。人に腹をたてることもイライラすることもまずない。だから人と喧嘩をするということもない。ただわたしに対して腹を立てる人間が多くて10人中8人9人はわたしにイライラしたり、腹正しく感じるというだけである。

これを長く続けていくとそのわたしに腹を立てる10人中8-9人は付き合いがなくなっていくし、もちろんこっちからつきあうのは願い下げという人間もたくさんいるから、そうなるとウマの合う一人二人が残るし、それが学生時代や会社のつきあいとか残っていくと、結局10人中10人ともウマの合う仲の良い友人ばかりという構図になる。今でも学生時代の友人は一生の友人だし前の前の会社でつきあいは多い。友人は多い方、人から好かれようともせずに嫌われても別に気にせんでそんで自分らしく生きてきた結果こうなんだから、やはり恵まれているなって思う。

さて自分らしく生きるというと本音で付き合うという意味かとそんな単純な人間ではわたしはない。なんでもズバズバはっきり物を言うけど実は本音というわけじゃない。もちろん思っていること考えていることしか話さないから何もないわけじゃないが、「ここはこう言ってみたい」とか「こうやっておきたい」ということ。あとまったく違うことを考えていることも多い。出てくるものは本音の本音じゃないの。そこは勘違いされることが多いけどその勘違いもわたしなりに計算してやっている。人の心の奥底なんてそんな簡単に表に出てくるもんじゃない。もっと言うならわたしを嫌う人間というのは、実はわたしが選んだ結果とも言える。嫌われたくて嫌われるわけじゃないけどそれで好ましいかたちにいるから。

あと子供の頃からよく考え事をする人間だった。今でも考え事をしている時間がとても多い。きっと恵まれない環境生い立ちが自分の意識を内部に向かわせた結果じゃないかなって気がする。自分の精神世界であれが自由だからね。いつも何か考えている。だからこれだけ文章も書けるんだろうけど、その分目の前の人に対して意識がお留守になっちゃうことが多い。それが我慢できないという人は多いしそういう人と無理して付き合っても結局うまくいかない。

ただその人を軽んじているわけじゃないし意識が行く時はそれはいろんな気がつくから、そこがおもしろいと思って、腹を立てながらハルトモと付き合うという人間も結構多い。古い友人ほどわたしにズバズバ物を言ってくれるからそれはそれでありがたいと思うことも多いが、あんまり言われて不愉快ということも多い。わたしは別に鈍い人間ではなくてむしろ感受性は豊かなほうなんである。その感受性のアンテナが向いている方向でないと反応しないというと分かりやすいかな? だがアンテナが向いてるときは直撃であるからたまったものではない。感受性が強いからこそ方向を閉ざしたのもしれない。



我が家のマロは知らない人間がたくさん来て警戒モードである。狭いところにいると警戒しやすいみたいだ。それで外の様子を伺っている。みんなマロを呼ぶマローってね。わたしなんかどういうわけか普通にまろとは発音できずに、声がひっくり返って後頭部から出てくるような声で、マロ~と語尾があがってしまう。英語の疑問形の語尾の上がり方じゃなくて、ただボリュームが上がっていくという感じね。最近その度が過ぎているようでマロがわたしを避けるきらいがある。マロの感受性のボリューム限度を超えているようだから、少し距離を取らねばいかんと反省している。マロはいつも自然体で感受性の窓は開かれている。こういうのが育ちが良いというんだな、ハルトモとはずいぶん違うなと感心している。

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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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