手ぶらで歩くということ

2016年01月22日
0
0
日々の雑感ーリタイアライフ



しばらく自転車通勤はやめることにした。寒いのと危ないのと両方だ。施設の子供でも何人も滑って自転車で転倒している。若いから怪我しないで済んでいるがわたしだったら危険だ。それとさすがに最近の朝は寒すぎる。今朝は氷点下だった。こんな寒い中で必死に走るのは金持ちの仕業じゃない。時々言われるんだけどハルトモさんはよく自分で自分のことを金持ちって言えますね。恥ずかしくないですか? それが意味するところはハルトモより金持ちはいくらでもいるだろうからそういう人間からみたら金持ちいうのは恥ずかしいのではないかという意識だ。つまり漠然と人間は謙虚であるべきということだが、わたしに言わせればこれは謙虚ではなく下世話なへりくだりである。それに金持ちは偉くもなんともないのであるから別に金持ちだと言ったところで別に自慢にもならないんじゃなだろうか?

今日は午後から渋谷まで出張った。電車である。最近電車に乗るときは手ぶらというのを意識している。やはり鞄を持っているのと持っていないのとで開放感が違う。ぐっと身軽に感じるのである。そういう視点で待ちゆく人々観察してみて驚いた。渋谷の町にほとんどてぶらの人間は歩いていない。仕事で近場にちょっと出るとかランチに出るとかだと手ぶらはいるがそういう人は薄着なんでちょっと出てきたんだなとわかる。そういうのをのぞくと手ぶらは非常に珍しい。100人に一人もいないのである。その100人に一人もいない人間を見つけて観察するとこれがまたおもしろい。てぶらは経済的にかなり低そうな人間がほとんどである。ところがだ。その中にちらほらとかなり裕福そうな人間が見られるのである。今日は二人みたが自由人という趣で着ているものはかなり高そう。高いと言ってもただ高いのではなくてたぶんビンテージのジーンズとか、見る人が見ればわかるという世界じゃないかという雰囲気だ。わたしはジーンズのビンテージを遠めに見てわかるほど詳しくないが、成功者をみるとすぐわかるのでたぶんそうだろうと思うだけだが。手ぶら=自由人という仮定を仮にしてみるとそれだけ自由な人間は世の中で少ない、という結論になるのかなと思う。

わたしが持ってでるものは写真の通りである。こだわるのはキーボードである。テキストをいつでも打てるような状態でいたい。それとiPhone、あとクレジットカードと金が数万円、もう財布さえ持ち歩かない。てぶらで十分である。
関連記事
ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
自己紹介へ

Comments 0

There are no comments yet.

コメント投稿