居場所

2016年01月12日
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日々の雑感ーリタイアライフ
TVで自宅に帰りたくない旦那さんの特集をしていた。家庭でいろいろあって家族関係がうまくいっていないので自宅に居場所がない。家にいても気まずいので仕事もないのに一人でカラオケに行って時間をつぶして帰る。家では寝るだけ。相当つらそうだ。人間というのはくつろげる居場所がないとかなりストレスフルな生活となるようだ。

同じTVで自立援助ホームの特集もやっていた。児童養護施設は学校に行っている子供の受け皿であるが、学校からもドロップアウトしてしまうと施設にはいられない。そういう子を面倒見るのが自立援助ホームで高校中退とか卒業していても仕事がないとか、それで居場所がどこにもない子たち。その子たちに必要なのはリラックスできる居場所である。まずは居場所を持つ、そこからである。さっさと自立しろとはいかない。もともとかなりどこかでおかしくなっている子たちである。時間はかかるのである。

児童養護施設にも予備軍は居て不登校の子供たちである。中学卒業まではなんだかんだでいられるが、ではなぜ不登校になるかと言うと、一番の理由は居場所がないのである。学校の中に居場所がない。最初は授業についていけなくなる。でも友達がいるので楽しいし友達と一緒にいることでようやく人との繋がりを意識できている。でも次第に自分で疎外感を感じるようになる。授業中ひとりだけ何もしないでいるとか別のことをしているとか、、だんだん学校が嫌になる。友達ともだんだんつきあいが薄くなっていく。そうなるともう学校に居場所がないので行きたくなくなる。児童養護施設で働いていると望まなくてもまざまざとそういうプロセスを目の当たりにする機会を得る。

無理矢理学校に行かせようとすればますます子供は閉じこもるようになるが、かと言って働く気もないしもちろん勉強する気もない。一般家庭なら一日中ゲームをしているとかいう生活になったりするが施設ではそれは許されないので無理矢理行かそうとするし、どうしても行けなければなんか手を打つことになるが。それで前述の自立援助ホームとかいう話になっていく。その時点で学力は大幅に遅れていて実は知能はそれほど低くないのにまったく勉強はできないという状態。字は読めない書けない、計算もできない。これではどうにもならない。

定年後に家庭で居場所がなくとまどうサラリーマンは多いと聞く。働くことで家庭を支えていた気になっていたが家人はそうは見ていなかったというパターンである。長いこと家庭を顧みなかったしっぺ返しを食うわけである。総じて言えるのは日本のサラリーマンはたいしたことしていなくせに自分のしている仕事をたいそうに考えすぎである。そして家庭での評判より職場での評判を気にする。

昨夜TVをちらと見たら間寛平が出ていて自分の人生から得た教訓を語っていた。全部聞いていないが最後によいことを言っていた。家庭を顧みずに家人に迷惑をかけた。家庭より世間で良い人に思われたいと思っていたが、自分が一番良い人にならな
ければならない人は誰か、それを間違っていたと。やはり自らの失敗体験から語るセリフは迫力がある。しかし気づけば大したものだ。わたしのおじいちゃんもそして親父もそれぞれ全く別方向で、それでともに家庭に問題があるという共通点があったが、どっちも自分の過ちに最後まで気づかなかったと思われる。

だが代わりにそれが大きな教訓となってわたしに残されたのであるから、それもまた一興と言えるのかもしれない。人生というのは絡まった糸のようにどこでどう関連しあっているかわからないものである。大切なことは糸を切らないことであるろうか? 漠とそう思う。
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