知人から電話が入った。児童相談所から自分の子供の件で電話があって調査が入るという。学校の保健室から虐待の可能性ありと児童相談所に通報が入ったからである。知人によれば実際何度も叩いたそうだ。それで叩いた後が残って学校が気づいたというわけだ。叩いた理由は決められた勉強をきちんとしないから。一流大学を出たその知人は自分の子供も一流大学に入れたいと必死である。それで塾も通わせ勉強も自分で見て、それで子供が自分の思い通りにならないと手を挙げるんだそうだ。その知人は悪いことをすれば叩かれても当然だと言う。だがその悪いこととは親のいいなりにならなかったということで、別に社会一般的に悪いことをしたわけではない。
なにやらもの悲しい話で、わたしは聞いていてその家庭全部が不幸だなあ、と思った。子供はまだ中学一年生だと言う。これから数年きっと修羅場を繰り広げるのであろう。児童相談所には平謝りに謝っておけとアドバイスしたが、どうも聞いているとまた手を挙げる可能性が高い。手をあげなくてもも決して楽しく明るい家庭とはいかないだろう。
その知人は言う。自分の子供に少しでも幸せになって欲しいという親心で手がでると。なんと悲しい親心であろうか? 自分が一流大学を出て一流の企業に就職してそれでハルトモ君にも遠く及ばぬ暮らし向きなのに、自分の子供をおなじラットレースに必死に追い込んでいく。言われた通りやる子供もいるのだろうが、たぶん反発する子供は親のようにはなりたくないのである。親がどうにも見本にならないから言われた通りにもしたくないのじゃなかろうか? 中一ならまだほとんど遊んでおれば十分だ。せめて本でも読ませておけば良い。
わたしの娘は母親のようになるのが理想だと思っている。いい旦那を捕まえて適当に遊んで暮らしたいそうだ。つまりハルトモ君のような男と結婚したいということだ。それは性格がハルトモ君というわけでなく経済力から家庭の雰囲気がハルトモ家のような家庭ということらしい。ちなみにもっとイケメンがいいそうだ。
我が家は特に勉強しろなどと言ったことはない。適当にやってそれで入れる大学に入っておけば良いという考えだった。それは入れる中でレベルの高い大学に行ったほうが良いがどこでもいいと思っていた。それでまあまあ知られた大学に入ったので十分である。我が家はいつも平穏で夫婦喧嘩もない。困ったり悩んだりもない。いつも飄々とほんわかである。毎日楽しいのがいいに決まっている。
その知人が真剣に言う。一点でも偏差値の高い大学を出ればそれだけ幸せになる確率は高まると。そしてその確率を高めるためには今耐えて頑張るしかないのだと。これもパラノイアである。苦しみを乗り越えないと喜びは訪れないと思いこんでいる。この知人には何を言っても無駄である。苦しみの先にはまた苦しみでないかね? こちとらは今楽しいが最優先、それでたぶん明日も楽しいよ。それにしても子供は可哀想だね。ラットの子はラットになるしかないか?
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