高等遊民

2015年12月18日
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日々の雑感ーリタイアライフ
高等遊民という言葉は学生時代の友人でも今もつきあいのあるトッシー君がさかんに使っていたので覚えている。具体的にどういう意味かというと親からの仕送りで麻雀に明け暮れて3浪して大学に行った共通の友人さと君のことを差していた。7年も親から仕送りをそれも生活に不自由ないくらいもらっていた。そのさと君も今や中学校の校長先生だ。高等遊民は学生時代で終わりでその後はずっと働きづくめでそれにかなり太っているので体は大丈夫かいなと心配している。

高等遊民というのは古い言葉で夏目漱石の本にも出てくるし、明治大正時代にはさかんに使われた言葉だそうだ。トッシー君は読書家だったから語彙が多かった。トッシー君が言ったせりふを今でも覚えている。ドフトエフスキーとかの本を読んだ後の感動の殆どは読み終えた=やり遂げたという感動であると。面白いことを言う人間だなと感心したものだ。高等遊民の意味は遊んで暮らすインテリである。今はノマドという言葉が流行っているようだが、英語の意味では遊牧民で本当の遊牧民はかなり忙しいはずだ。遊牧民と遊民は違う。であるからノマドではなく真ん中を抜いてノドというのがたぶん良いのかもしれない。わたしはノドですと自己紹介する、なんで?と聞かれたら蘊蓄を披露するという段取りだ。なかなかいいじゃないか。

来年にはそのノドになってしばらくのんびりしようかと思っているのだが、昨日飲んださんちゃんがうちに来ないかと言う。100人ほどの会社のナンバー2だから人1人どうにでも採れるのだろうが、わたしはそんなひーこら働く気はないですがそれでもいいですか? と言ったらお前のような人間を採用したら能力を最大に活用するのが経営者の責務だ。なんて言われてしまった。それではわたしでは勤まらない。もうすでに半分ノドなんである。半分というのは働く必要がないという意味だ。さんちゃんと言えど、今のわたしの心境は理解しずらいと思う。なんとか週三日くらいならやってもいいかな?

それにしても前の会社を辞めてすぐに今の施設に職を得た。辞めるとなるとまたこういう嬉しい申し出が。この歳になってありがたいことである。わたしの経歴だと職を探そうと思えばなんかあるみたいだ。メーカー営業の責任者で営業、マーケティング、設計開発、経理、品質保証、法務、物流、貿易、一通りの流れを把握していて海外とのやりとりができる人間は中小企業ではそんないないからニーズはあるらしい。だがもう正社員は嫌だね。なんか暇つぶしに週三日のアルバイトがいいかな? 遊びながら理想のアルバイト先を探し続けるなんて楽しそうだな。

トッシー君は高等遊民を目指していたと思う。それで激務の大企業を退職してそれで地元の大学職員になった。のんびりやるつもり。ところがそこで上と衝突して辞めてしまう。その後は職探しに汲々とする暮らしで今は病院の掃除頭である。高等遊民が高等難民になってしまっている。でもねトッシー君は実家が裕福で最後は必ず助けが入るから、それはそれでいいのだが、その分いろいろ判断に甘さがあるわけで、人生というのは何が幸いして災いするかわからないものである。まあトッシー君は最後は大丈夫。いつか相続もする。やはり親が金持ちというのは最後強い。ただ最近はみんな長生きするから相続を待っているうちに年を食ってしまう人間も多いだろうね。金は元気なうちにあった方が断然面白いが若いうちに苦労知らずで金を手に入れるのも良くないように思う。

娘は夫婦どちらかに何かあればそれなりの相続をする事になる。社会人となれば自分で使うことになる。それで自由に金を使って真面目に働かなくなる可能性もある。仕事は辞めないまでもやる気がなくなる。だから夫婦とも長生きしないといけないと言うわけだ。もちろん生きていて楽しいから、自分の為にも長生きしたいのだけどね。
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