相場師の責任
2015年12月14日
ある相場師が胸を張って言うとしよう。「口先だけの評論家やエコノミストと違いわたしは自分の責任で相場を張っています。負けるも勝つも自分の責任です。」と。なんか立派そうに聞こえるが、これはちと考えるとわかるが明らかにおかしな理屈である。その話をする前にまず思うのは、なんか自分が上等であると言いたげな匂いがプンプンしているのが鼻につく。どんな人間でもどんな仕事でも自分が上等だと思った瞬間に堕落は始まっている、というのがわたしの経験則だからなんか怪しげだ。こういう人間は得てしてわたしは寄付をしていますとか税金をたくさん収めているから社会に貢献しているとかいう論陣を張ったりもする。これもわたしが嫌いな理屈だ。どうせ掠め取った金だ。偽善家ぶらず自分で贅沢するほうがよほど潔い。
さてなぜおかしな理屈かと言うと、「わたしは自分の責任で相場を張っています。負けるも勝つも自分の責任です。」これは何を言っているかというと別に相場師であろうがなかろうが素人だろうがとにかく株をやる人間全部の話だ。別にプロの相場師だけがそうだというわけじゃない。であれば世の中の投資家全員が評論家やエコノミストより立派だという論になるがそんなことあるわけがない。どちらかと言えば負けてる投資家のほうが責任をよく取っていて、プロの相場師は勝てるという具体的な見込みがあるだけにそれを仕事にした時点ですでにどこか胡散臭いのである。
さらに言うなら評論家やエコノミストはそういう役割のニーズがあるから存在するそれもひとつの職業で別に株取引をしていないから責任を取っていないわけでもない。彼らは彼らなりにそれで収入を得てさらに生存をかけて戦っている。ただ株取引においては鵜呑みにできんのは当たり前で、業界全体が一般投資家を搾取する構造になっているのだからその一部というだけで、そういう意味では相場師は市場で素人を食っているのに対して評論家は別の方向から素人を食い物にしているだけで、結局やっていることは似たようなもんなんである。同類項ってやつだ。だからどっちかどっちかを偉そうに馬鹿にできるはずもない。
さてこのような理屈をいままでどこかで読まれたことがありますか? 案外聞かないでしょ。わたしはいちから考えた。こうやって一から考える力が大切である。どこかで聞いたような話をまるで自分で考えついたみたいに偉そうに書きたくたい。聞いたことのあるような理屈ならわざわざ場末のプライベートブログで焼きましよろしく書く意味などないのである。そういう気概はあるのね。
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