女衒の達
2015年11月30日
おしなべて言えることは貧乏人ほど均質である。金持ちは多様である。貧乏人が金持ちになろうとしても均質から抜け出してさてどこに向かっていいかわからない。成功の仕方は多様なのである。一方貧乏人を続ける限りは均質が安全である。分不相応にそこから出ようとするのが危ない。
成功を夢見る貧乏人が犯す大きな間違いのひとつは成功に均質を求めることである。うまいやり方があるんだろう、なんてのは均質=貧乏人の特徴的な考え方だ。ここはコペルニクス的思考の転回が必要なんだがほとんどの貧乏人はできない。自分は自分であり他者はどうでも良い。そこには均質という考え方などないである。自身を無頼漢と心得て日々を生き延びればそれでよしという猛禽類的発想を持つものが運がよければ生き延び運が悪ければ屍をさらす。ただそれだけである。
おわかりか?死のうが死ぬまいがどうでも良いのである。儲けるも一興、のたれ死ぬのも一興。そういう心持ちに貧乏人がなれますかね? 貧乏人ほど自分の持っているわずかななものを大事にしたがる。失うことを怖れる。そしてなんだか都合よく回ることを期待する。
麻雀放浪記という映画を久々にHULUでまた見た。原作は阿佐田哲也、さまざま勝負師が出てくるが、わたしにぴったりのキャクターは「女衒の達」。わたしは女衒ではないが、本質において女衒の達そのものである。勝負事は滅法強いがちゃんと本業があってそこは揺るがない。勝負は勝負で己をわきまえて勝てるところだけ勝つ。相手が強いとみれば勝負は避ける。まさにハルトモ君だね。