人と違う
2015年11月18日
自分の周りをぐるりと見渡して360度、どっちに向かっても良いのだが道が何本か通っていてそこを人が行き交っている。人と同じにしないということはその道から外れることである。だが外れて原野に踏み込んでみたらなんと360度からいくつか引いて300度くらいどこに行ってもいいから、これは簡単なことではない。それなりの生命力がなければ野たれ死ぬ。人と違えば良いというもんではないということだ。
わたしには不思議な能力がある。ゴルフで友人と勝負していてグリーンそばまできた。簡単なアプローチだ。乗せてツーパットで良い。だがそこでシャンクした。仕方ない次寄せれば良い。だがそこからもう一度シャンクした。あかん。それに今度はライが悪くボールがラフに沈んだ。開き直ってフェースを開いてバンカーショットのようにどんと打ったらボールがふわりと上がってピン方向に、だがでかいと思った瞬間ガチャとノーバウンドでカップに入った。これでライバルはやる気をなくす。
最終ロングホールのセカンド、勝負に勝つためにはどうしてもバーディが欲しいのでツーオン狙い。だが左に引っ掛けて池に入った。ライバルは一安心である。1打罰でドロップして残り100ヤードの4打目、これがカップに吸い込まれた。バーディである。ライバルはずっこける。こういうことがわたしは割と多い。もちろんあっけなく負けることも多くてそれで勝ったり負けたりなんだけど、勝つときにはなにかある。
東日本大震災の直後に実母を捜索に気仙沼に単身車で向かった。その時の顛末をこのブログでも書いたので覚えておられる読者もいると思うが、道があちこち崩れて寸断されて、または津波に襲われて、そしてなんの情報もない。どの道がどうなっているか全くわからない中、勘だけをたよりに山の中を抜けて、ほぼ間違えることなく気仙沼にたどり着いた。後から調べると結局その道しか気仙沼に入ることはできなかったと知れた。埼玉から気仙沼まで一般道で行ってもう栃木から先はあちこち道がぐちゃぐちゃで、ちゃんと着けた可能性は1%くらいじゃいかなと思えたが、とにかくわたしは気仙沼に着いた。そしてわずか3時間で数千とかの避難者から実母を見つけ出した。顔さえしらない実母がよく短時間で見つかった。どこに誰がいるかなんの情報もないのである。不思議だがそこは勘である。一度探していなかった避難所で他所に行こうかと思ったが、いや待てよともう一度丁寧に探したらそこにいたのである。他所に行ったら絶対会えなかった。
実母とそしておまけで瀕死の伯母も連れての帰り道、再び山の中を抜けて帰るが、曲がりくねった山道のコーナーで、あっ、ここだ、思い出し急ブレーキをかけた。コーナーの出口に大きな石が落ちていたのである。すんでのところで助かった。事故ればどうにもならない。乗せた瀕死の伯母は死ぬ。行くときにその石は見ていたがコーナーの手前で気にならなかったし実際帰る時は忘れていたが、そのコーナーを逆から入った時に、背中からゾッとする感覚で思い出した。思い出したのかどうかよくわからないのだがとにかく助かった。
帰りはひどい渋滞だった。みな避難しているのである。それで行きと同じ道は通れなかった。伯母はどこの病院でも見てもらえず、結局さいたまの病院に救急で担ぎこんだ。病院に着いた時にガソリンはまったくなくなって病院から家までの数キロをかみさんに迎えに来てもらった。愛車ゴルフトゥーランはリッター18キロ走ってくれた。あちこち寄りながらも運転は冷静だったが、結局往復で30時間くらい運転した。ちゃんとさいたまに帰った可能性も後から思えば10%もないんじゃないだろうか? でもわたしは帰った。そして伯母は医者がもうだめだろうと言ったが結局一命を取り留めた。おかげでわたしは人の命の恩人になるというかけがえのない経験をすることができた。
これが能力というかツキというか知らないが、投資でもビジネスでも、これはという勝負は全部勝ってきた。自分ではいけるとそう思うのね。負ける勝負はしないのだ。だからと言って堅いかというと人からみればかなり危ない橋をわたる人間のようである。野生の勘とか一言で片付ける手もあるかもしれないが、かなりのおつむもないとこうはいかんと思ってはいるんだが、あまり同意は得られない。
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