服従と忠誠

2015年11月13日
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日々の雑感ーリタイアライフ
忠誠を誓う、と言えば今日、上司とか組織に服従するという意味で使われるが、ではなぜ服従と言わないのだろうか? 忠誠の方がずっと上等に聞こえる。その通り多分忠誠の方が上等である。忠誠というのは本来スポンティニアスな行動である。それに対し服従はどちらかと言えば否応なく強制されて行うものである。ということで服従に忠誠という仮面をつけたのが日本では立派に忠誠という単語になっているのではあるまいか?などと私には感じられる。

日本では忠臣と言えば忠臣蔵である。この忠臣たちはなぜ江戸時代の諸民の快哉を勝ち得たのであろうか? それは徹底した服従ぶりからであるはずがない。主君はすでに死んでいる。お家も断絶。すでに服従すべき家はない。それでも自分たちなりに忠義を尽くしそして最後辞世の句とともに散る。これは一体いかなることであろうか? まさにハチの世界である。間違いなく言えることは主君の命に沿って己の考え無しに動く盲目的服従はそこにはないということだ。すべて自分で決めるのである。

忠臣蔵というお話は全編忠臣の話であるが、討ち入りを描いた本伝、さらに義士一人一人のエピソードを描いた義士銘銘伝、そして義士たちを取り巻く様々人間模様を描いた外伝と多岐にわたっている。中でも忠僕直助という極め付けの忠臣の話がある。この直助の話は以前書いたが今日は違う視点から話す。

主君の刀が粗末と家中万座の前で辱めを受けた。悔しくて悔しくて堪らない直助は出奔して行方不明に。実は有名な刀鍛冶に弟子入りしたのである。そして常人には想像できぬ修練を積み師匠も驚く名刀を打つまでになる。そして数年後主人のもとに戻り、持参した名刀で主人は汚名をそそぐ。その主人が赤穂浪士の一人ということなんであるが、さてこの話、美談ということになっているが、よく考えると随分勝手な部下である。今の仕事を全部ほっぽらかして主人に何の相談もなく出て行ってしまう。そしてお話では立派な刀を持って帰ってくるがこれはお話だからであって、うまくいかなければきっと帰ってもこれまい。あるいは帰ってきたにしても主人が心から納得のいく成果を持ち帰るとは言えないケースも多かろう。だからと言って、勝手なことをした部下を叱責すれば主従関係の土台さえが危うい。それを見た他の家来の心も離れかねない。この時代の忠臣を持つ主人も大変である。忠とはまさに主人と部下がそれぞれにかつ融合しあい、相互に織り成す様式美とも言えるかもしれない。

良い意味でも悪い意味でも日本に比べて忠臣蔵の主人と部下の関係を今でも保持しているのは韓国である。儒教の影響が極めて強い国で、部下は上司に絶対服従であるが、その部下の服従が上司に重いプレシャーとなってのしかかる。部下の服従に応えることを上司は無言で要求されるのである。それができない上司は組織を維持できない。前の会社で韓国の責任者は今でも友人だが、彼から聞く韓国の企業での上下関係は瞠目ものだった。

翻って、日本はどうであろうか?ずいぶんうまいこと忠を翻訳して上に立つものに都合よくすり替えてしまった。上司は部下に服従を求めるが、見返りはさしてない。部下は勝手なことをせずに言いなりになれ。それが忠誠であると。少し調べれば資料が出てくるんだろうが、こんなおかしな上下関係が日本に根付いたのは多分江戸時代だ。だって戦国時代の上下関係はドライでかつ凄まじい。立場が違うだけで一個の人間としての輝きは皆同じ。それが戦国時代であった。

日本の組織にいると、どうにも上に立つものが胡散臭くて怪しいと本能的に感じていた私は日本的な組織のモラルにずいぶんと反発したが、それはなんとなくであった。よくわからず服従するのが嫌だった。この年になってそして組織を離れてみると、自分の勘が間違っていなかったとようやく後付けで理論武装ができる。やはり勘にしたがって、それで良かったのである。理屈というのは頼りにはなるが結構脆いものである。
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ハルトモ
Posted by ハルトモ
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