今日の朝食
頂き物のみりん干しがあったので和食のはずだったが
私がパンが良いと言ったら途中で進路変更してくれた
こういうのもたまには良い
株式投資をコツコツとやるとか、堅実に増やすとか、そういうことを言う人のほとんどは人生をコツコツと生きているわけですよ。そのコツコツと頑張ってもどうも先は知れている。たかも知れている。では株式投資で一発、、なんてそんな宝くじみたいな上手い話なんてありっこない。だから少しでもゆとりを持つために限られた資金ながら堅実に増やす道を模索している。こう言う人が多分世の中多いんじゃないかなと思う。
まあ私とはと明らかに立ち位置を異とする。だってね、コツコツ生きるじゃ知れているんでしょ。それでなんでもう一個コツコツを持ってくるんだろう? つまらんなと思う。コツコツじゃ知れているなら一発、てのは日本語的には自然だよね。それでいいんじゃない? 一発当たらなければ元のコツコツに戻ればいいんだから。
一発狙って一時うまくいってもこけるって人が多いでしょ。それを見てみんな引いちゃうけど、私に言わせれば一発狙うのが悪いんじゃなくて当てた後に間違っているだけですよ。つまりおバカというか身の程知らず。そこがきちんとできるなら一発狙いはやってみる価値はあるんですよ。リスクを承知でね。
自分の人生を私みたいにこうやってブログに書いてもなんなら小説に書いてもいいけど、どんと読み通して、そんでもって成る程な、て一本筋が何だか適当なようで通っている。読み物として説得力がある。読んでいて面白い。痛快だ。そういう風に書けるなら、そりゃ生きていてそうだってことですから人生楽しいに決まっている。ブログを楽しく書くてのは私にとってはそういう意味です。私なんか何年前の自分のブログを感心して読んでます。2005年5月5日からブログを書いていて古いのはPDFにしたんだけど、リーマンショックの時のブログとか読みたい人いるかしらね? 面白いと思うけどね。上げる方法考えようかな?
ただね笑いと言っても、ブログで簡単に受ける手はあって自虐ネタ。株でも損したうまくいかんなんて言っていると面白がって読む人も出てくるけど、それは自分で自分を嘲笑っているだけでそれが商売ならいざ知らず本当に自虐になっちゃう。やはり人生は笑われるんじゃなくて自分が笑わにゃ。カッカッカてね。読者はどうでもよろしい。そう言われてもつい読んじゃう。あのハルトモが何を咆えてるか、つい見たくなるってね。謹んでざまあみろであります。
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