30年前に買った傘
2015年11月10日
毎週の渋谷行きだが西野流呼吸法の稽古で、これは相場師でもあらなみさんが通っている。彼は23年だそうだ、わたしは15年だから、お互い辞めない限り追いつけない。たぶんあらなみさんは辞めないと思うから一生追いつかないな。西野先生がいつまでも生きているかだが、最近聞いたところでは本人は120歳まで生きると言っているそうだ。先生が今89とかのはずだからあと31年というとわたしは87歳だから楽勝で葬式には出れそうだな。
呼吸法をやると相場が儲かりますかというのは愚問だ。呼吸で金が儲かるわけがない。ただ言えるのはこういうよくわからないものを長年続けるというのはどんな世界でも勝負師の特徴で最近はルーティンワークという言葉も流行っているが、勝負師は理由もなく何か変えるのをとにかく嫌う。そういうと保守的かというそうではなくどんどん変えていいのである。どんどん変えるが変えないものは変えない。変えるにもこだわりがある。新しいことをすっと始める柔軟性も重要だ。それで合わなきゃさっと捨てる。合うなら続ける。その選び方に感性がある。
細部がけっこう重要だね。普通の人が重要でないと思うようなことにけっこうこだわるのも勝負師の傾向だ。わたしの場合は負けてもいいというのが根底にある。別に株だけがすべてじゃない。だめなら撤退でしょ。だから勝敗というより自分の納得が優先で、勝てるという確かな自信があってその上で勝ちたい。でないと体が動かない。でもって結果はたまたま全勝なんだけど、このたまたまなどと言いながら絶対に負けたくないのね。そこが矛盾しているようで矛盾していない。
株式相場を勝負事と考えたら、少なくともわたしのように損したことがただの一度もない人間というのはまずいないようだ。数少ない勝ち組でもみんな悩んで苦しんで上達したと言っている。痛い思いもしている。練習をたくさんやった努力の成果だと言う。勘で生きるカリスマはどこかで必ず躓くんだそうだ。確かに大物の相場師も最後成功するにしてもしないにしても、どこかで必ず酷い目に合っていて相当の犠牲を払っている。最後が酷い目だと悲惨だ。それに仮に苦労して練習したから長続きするという保証もない。やはり明日もを知れぬ身であるのはカリスマも努力家も同じことだ。
勉強も練習もしないでそれで最初から結構稼いで負けがないのだからこんな上手い話はない。これは実力というより強運という結論でもういいって気がする。だれもわたしに教えてなんて言ってこないのはそういう理由だと思う。なんでハルトモがうまくいくのかよくわからないが真似してうまく行くとは思えないてのがハルトモに対する一致した見方だ。友人知人親戚だって真似せんからね。
運を引き寄せるとか流れに乗る胆力とかそっちの要素が大きいのかも知れない。ただ運という世界でもうけっこうだと言っているのは外向きで、自分として確信があるから勝負する。まるで映画を見ているか本を読んでいるように途中で結末がわかるの。こういう結末だ!てね。その確信がなくて自分は運だけだと思っていたら腰が引けちゃってうまくいくものもうまくいかないと思う。
だから自分じゃ確信がある。みなそれがわからない。そういうのは会社で多かった。わたしがこうなるというと、みんな首を傾げる。でもわたしの言うとおりになる。わたしが突拍子もない仮説を立てて、背後で競合会社と顧客が我が社の追い落としの陰謀をしかけているのではないか、とわたしが言ったら新任のエリート社長が鼻で笑った。ハルトモさん凄い妄想力ですねってね。だが結局わたしの言っていたとおりになった。そうなると言う。ハルトモさんは勘でいっただけ論理的には自分は正しいと。自分が及びもつかない能力を持つ人間がいることが理解できずに、一生懸命己の正当化をはかる。おつむが良いエリートのステレオタイプだ。
わたしはわりと論理的だと自分で思っているが、その上位に感性があって論理は感性のサポート役だね。論理というのは突き詰めて行けばいくほど結論がころっとかわっちゃうことが多い。実はこうでしたとか、新しい要素が加わりましたとかね。そうすると今までは何だったんだということが起こる。だから感性でおかしいと思うなら論理を疑って再度見直していくという姿勢が必要だ。当たり前だが感性だけでは結論は出ない。感性というのは論理の少し上しか飛べない。勝手にどこかにいけるようなもんじゃない。だからやはり論理は重要だと思う。ただその上の感性で勝敗をわける差になる世界と理屈で大丈夫という世界があって、相場みたいにほとんどの人間が負けるということは感性の領域が効いていると思う。
今日は雨だったので渋谷まで電車で行った。雨だから傘持参だがこの傘が古い。約30年前に買ったものだ。大阪時代に仕事で傘を扱う大きな問屋になんか仕事で行ってそしたらせっかくだから卸値で好きな傘を買っていいと言う。小売店に卸す値段でこの傘を買ったが、当時で一万何千円かは払ったと思う。どうせなら高い物を買った方が得だと多分当時の私は思ったのだ。それで今でもお出かけの際にはちょくちょく使っているが、いまだにしっかりとした作りだ。がたも来ていない。生地も厚くて破れる気配もない。この傘が凄いのは多少の雨ではポタポタ水が垂れないの。生地で吸収してんだね。多分壊れても修理できると思う。修理代が今は幾らか知らんけど。
私は長いこと使っているものがいくつもある。スピーカーとチューナーは37年、30年前のセーターとか靴も以前紹介したと思うが現役だ。ポンポン買うし、粗雑に見られることも多いのだが、どこか人と違う丁寧さとか細やかさてのはきっとあるんじゃないかしら。でなきゃこんな持たないと思う。
株も同じで、長いこと負けずにいるってのはやはり大したもんでしょ。かなりユニークで我流で危なっかしいと人は見るけど、人がわからない丁寧さとか慎重さとか多分あるんだと思う。たぶん株はもうやらないという気がする。そうと決めたわけじゃないけどそれでいいやと思う。これ以上儲けても使う用事がない。一生負け知らず、でいいんじゃない? その納得と思い出が残る。どや凄いやろってね。
呼吸法をやると相場が儲かりますかというのは愚問だ。呼吸で金が儲かるわけがない。ただ言えるのはこういうよくわからないものを長年続けるというのはどんな世界でも勝負師の特徴で最近はルーティンワークという言葉も流行っているが、勝負師は理由もなく何か変えるのをとにかく嫌う。そういうと保守的かというそうではなくどんどん変えていいのである。どんどん変えるが変えないものは変えない。変えるにもこだわりがある。新しいことをすっと始める柔軟性も重要だ。それで合わなきゃさっと捨てる。合うなら続ける。その選び方に感性がある。
細部がけっこう重要だね。普通の人が重要でないと思うようなことにけっこうこだわるのも勝負師の傾向だ。わたしの場合は負けてもいいというのが根底にある。別に株だけがすべてじゃない。だめなら撤退でしょ。だから勝敗というより自分の納得が優先で、勝てるという確かな自信があってその上で勝ちたい。でないと体が動かない。でもって結果はたまたま全勝なんだけど、このたまたまなどと言いながら絶対に負けたくないのね。そこが矛盾しているようで矛盾していない。
株式相場を勝負事と考えたら、少なくともわたしのように損したことがただの一度もない人間というのはまずいないようだ。数少ない勝ち組でもみんな悩んで苦しんで上達したと言っている。痛い思いもしている。練習をたくさんやった努力の成果だと言う。勘で生きるカリスマはどこかで必ず躓くんだそうだ。確かに大物の相場師も最後成功するにしてもしないにしても、どこかで必ず酷い目に合っていて相当の犠牲を払っている。最後が酷い目だと悲惨だ。それに仮に苦労して練習したから長続きするという保証もない。やはり明日もを知れぬ身であるのはカリスマも努力家も同じことだ。
勉強も練習もしないでそれで最初から結構稼いで負けがないのだからこんな上手い話はない。これは実力というより強運という結論でもういいって気がする。だれもわたしに教えてなんて言ってこないのはそういう理由だと思う。なんでハルトモがうまくいくのかよくわからないが真似してうまく行くとは思えないてのがハルトモに対する一致した見方だ。友人知人親戚だって真似せんからね。
運を引き寄せるとか流れに乗る胆力とかそっちの要素が大きいのかも知れない。ただ運という世界でもうけっこうだと言っているのは外向きで、自分として確信があるから勝負する。まるで映画を見ているか本を読んでいるように途中で結末がわかるの。こういう結末だ!てね。その確信がなくて自分は運だけだと思っていたら腰が引けちゃってうまくいくものもうまくいかないと思う。
だから自分じゃ確信がある。みなそれがわからない。そういうのは会社で多かった。わたしがこうなるというと、みんな首を傾げる。でもわたしの言うとおりになる。わたしが突拍子もない仮説を立てて、背後で競合会社と顧客が我が社の追い落としの陰謀をしかけているのではないか、とわたしが言ったら新任のエリート社長が鼻で笑った。ハルトモさん凄い妄想力ですねってね。だが結局わたしの言っていたとおりになった。そうなると言う。ハルトモさんは勘でいっただけ論理的には自分は正しいと。自分が及びもつかない能力を持つ人間がいることが理解できずに、一生懸命己の正当化をはかる。おつむが良いエリートのステレオタイプだ。
わたしはわりと論理的だと自分で思っているが、その上位に感性があって論理は感性のサポート役だね。論理というのは突き詰めて行けばいくほど結論がころっとかわっちゃうことが多い。実はこうでしたとか、新しい要素が加わりましたとかね。そうすると今までは何だったんだということが起こる。だから感性でおかしいと思うなら論理を疑って再度見直していくという姿勢が必要だ。当たり前だが感性だけでは結論は出ない。感性というのは論理の少し上しか飛べない。勝手にどこかにいけるようなもんじゃない。だからやはり論理は重要だと思う。ただその上の感性で勝敗をわける差になる世界と理屈で大丈夫という世界があって、相場みたいにほとんどの人間が負けるということは感性の領域が効いていると思う。
今日は雨だったので渋谷まで電車で行った。雨だから傘持参だがこの傘が古い。約30年前に買ったものだ。大阪時代に仕事で傘を扱う大きな問屋になんか仕事で行ってそしたらせっかくだから卸値で好きな傘を買っていいと言う。小売店に卸す値段でこの傘を買ったが、当時で一万何千円かは払ったと思う。どうせなら高い物を買った方が得だと多分当時の私は思ったのだ。それで今でもお出かけの際にはちょくちょく使っているが、いまだにしっかりとした作りだ。がたも来ていない。生地も厚くて破れる気配もない。この傘が凄いのは多少の雨ではポタポタ水が垂れないの。生地で吸収してんだね。多分壊れても修理できると思う。修理代が今は幾らか知らんけど。
私は長いこと使っているものがいくつもある。スピーカーとチューナーは37年、30年前のセーターとか靴も以前紹介したと思うが現役だ。ポンポン買うし、粗雑に見られることも多いのだが、どこか人と違う丁寧さとか細やかさてのはきっとあるんじゃないかしら。でなきゃこんな持たないと思う。
株も同じで、長いこと負けずにいるってのはやはり大したもんでしょ。かなりユニークで我流で危なっかしいと人は見るけど、人がわからない丁寧さとか慎重さとか多分あるんだと思う。たぶん株はもうやらないという気がする。そうと決めたわけじゃないけどそれでいいやと思う。これ以上儲けても使う用事がない。一生負け知らず、でいいんじゃない? その納得と思い出が残る。どや凄いやろってね。
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