生き様を見せるということ

2015年11月06日
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児童養護施設のこと
先日一緒にラウンドしたプロ野球関係者が、若くして稼ぐプロ野球選手が狂うのは当然だ、と言っていた。態度の悪い人間も多いし人の言うことも聞かないし、それでいろんな誘惑が多くてそれで騙される人間も多いし、投資話で借金を作るというのはお決まりのパターンだそうだ。

これはゴルフでもたぶん同じじゃないかと思うが、子どもの頃から親にたっぷり金も手間もかけてもらい、自分中心が当たり前になっている。それで若くしてそのあたりのサラリーマンでは及びもつかないような金を稼ぐのだからそうなんだろうなと私も思う。ちなみに、そういう選手を束ねる監督もこれはかなりえげつないキャラでないとやってられないということになって、世の中では名将と称えられる監督ほどエグいそうだ。何がどうエグいかまでは聞かなかったが、そんなんだろうなとは頷ける。

自分の子供に何らかの進路を期待する親というのはとても多い。スポーツでもあるいは家業を継ぐでも、またはサラリーマンでも良い大学で大きな会社か、公務員とか、親が子供にいろいろ期待するのは人情かもしれないが、だから子供がおかしくなること多し、ということは言えるんじゃないかと思う。恩着せがましくなったり価値観を押し付けたり。それは子供の成長にプラスには働かない。我が家は子供を応援してあげる気はあるが、どうなって欲しいとかそういう期待を子供に見せない。無いからである。好きにすれば良い。ただ私から見て好ましい人間になってくれれば良いなとは思うが、それも私の生き方でしか子供にわからせることはできなだろうと思う。言って聞かせてそうなるというものでもないし、そうでも困る。自分で考えろということだ。




児童養護施設の本棚にたくさん本がある。買ってくることもあるが、寄付も多い。絵本の寄付が一番多い。あと図鑑とか辞書の寄付もある。そんな中にこんな本を寄付してくる人もいる。アメリカでは有名なスピリチュアルリーダーだとかで、言っていることは「人生における豊かさ」とは、ということで、こう言う本を読んで自分の人生を切り開いてください、という願いが込められているんだろうが、では施設の子供が何人この本を読むかというとゼロである。誰一人読まない。仮に読んでも誰も理解できまい。

本の中に書いてある。人のために何ができるか考えましょう。そうするためには相手がどういう人間か知る必要がある。どこか遠くから「豊かさ」の本を送りつけてもそれは何の意味もない。猫に小判、馬の耳に念仏。

ではと、わかりやすい豊かさを直接子供に見せているのがハルトモ君である。お金といい知識といい家族といい趣味といい物事の考え方といい、行動力といい、つまり生き様、まあ私が最高などと嘯くつもりはないが、少なくとも施設の子供が目にする人間の中では、まさにこれが「豊か」であるという一つの姿であろう。幸福感に包まれていて何の不自由もない状態。

私は施設出身であるからこそ、これを子供たちに見せに来た。それが施設に来た理由である。仕事として子供たちに何かしてあげるとか、相談に乗るとか、そんなのさえおまけであると思っている。子供たちが私を見ても別にいますぐ何も思わない。偉そうで自慢好きの変わったおっさんだぐらいにしか思っていない。それでいいのである。だが本と違って実像だから彼らの記憶に強く残るであろう。人生の節目節目で私のことを思い出すかもしれない。思い出さないかもしれない。それでいいのである。

自分の子供にも、施設の子供にも、生き様を見せるということでそれで作業としては完結している。そんな風に思っている。
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Comments 2

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白猫次郎  

No title

ハルトモさん、おはようございます。
お元気で、なるべく長く今のお仕事を続けてくださいね。
ちんたら手抜きで良いですから、趣味のお仕事は大事です。そうしないと暇すぎますからね。

2015/11/06 (Fri) 12:11

ハルトモ  

No title

おはようございます! 結構な生活ですね。
確かに私のような職員は他にいないので希少価値だとは思いますが、私も既に施設で働きだして4回目の秋です。最低3年はと思っていましたのでそろそろ区切りをつけようと思います。

ずっと遊ぶのではなく他にやることも多分あると思います。今いる施設だって予定していたわけでもなく思いがけず働くことになった。でも運命的なものは感じますので、多分また何か面白いことに出くわすような気がします。

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