最強である必要はない

2015年10月21日
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人生の考え方
森を二人の男が歩いていると凶暴そうなクマに出くわした。一人の男は祈り、そしてもう一人の男は靴紐を締めた。それを見て祈る男が言う。無駄だ、あの熊の速足からは到底逃げられない。靴紐の男は答えた。いや少なくともお前に勝てばいいのさ。

この逸話は相場の本質を突いていると思う。相場は勝つ人間ではなく負ける人間を中心にゲームが進んでいく。獲物がいないことには狩りは始まらない。獲物がいることで追うもの仕留めるもの横取りするものおこぼれに預かるもの、最後骨まで食い尽くすもの、ちゃんと自分のポジショニングを理解できているもの、いやむしろ自分の立ち位置を演出できるものが生き延びる。何も最強である必要はない、熊に勝つ必要もましてや逃げ切る必要もない。

話は変わる。久々に眼科を訪れた。白内障の手術をしてからおよそ半年である、術後3ヶ月はいろいろとトラブルがあった。手術の影響で目の奥に浮腫、いわゆる水膨れができた。最初に右目しばらくして左目、像がゆがんでみえるのでかなり焦った。直線がギザギザに見える。それでどうするかというと眼の玉にステロイドの炎症を抑える注射を打った。右目と左目の二回、恐ろしい体験であったが今となっては話のネタである。自慢できるくらいだ。

それで体調管理に努めて勤務を宿直を減らしてもらうなどして、今はかなり落ち着いている。手術前の右目の視力が0.01、左目が0,3、数字はこの数字だが白くぼやけてかなり見づらかった。今は右が1.0、左が0.9、両目で1.2、多焦点レンズなので近くも見えて、パソコン、新聞は問題なし。聖書も両目で裸眼で読める。ということで眼鏡は一切いらない身の上となった。

そして視力以上に視界のクリアさはこれは手術前と別世界だ。夜運転するとグレアと言ってギラギラと対向車のライトが光るという症状は多焦点レンズの特徴らしくてわたしもでているが、まあ許容範囲だ。手術前は対向車のライトが眩しくて目の前がなんだか真っ暗になるなんてしょっちゅうだった。今はそんなことはなくて夜の運転も怖くない。

ということで本当にやってよかった。こんなに見えるならもっと早くやればよかったと思うくらいだ。目の手術というと怖がる人もいるが手術というのは医者がするもので患者はすることはないのだから、考えてみれば
あまり心配しても仕方ない。白内障の手術はほとんど失敗がないそうで、失敗してもその後のやりようがいくらでもある手術であるから、躊躇する必要はないと思う。今はよく見えてはいるが油断はできない。体調管理に留意して無理をしないように生活をすることだ。睡眠不足は特によくないようだ。それで運動はたくさんしたほうが良いらしい。今の生活でいいんでないかね。

ベトナムさんと日銭のことでやり取りをしている。私はキャッシュがあるなら日銭を得るには不動産が良いと勧めたが、多分ベトナムさんは自分の得意分野の株からから決して出ない。それが狩猟民の本能だ。食えるところに居座り食っていればいいのである。

私だって似たような経験がある。大きく利益の乗った現物株を持っているなら、現物で売らず信用で売り建てろ、とこれはT1さんのアドバイスだった。これの達人がバカラさんという人だったそうだ。まあ信用で売って逆とでれば現物を差し出せばいいのだからやっても良かったのだが、結局私はやらなかった。そこが本能的な判断だ。慣れないことは体が動かないのである。

だが慣れると言っても最初から慣れているわけではない。自然と動けるように慣れる努力が要る。それでいったん慣れたらそこで狩りをして、わからんところには決して出ない。それが狩猟の要諦だ。

私はサラリーマンでもうまいことやって株でも為替でもそして不動産でも間違えない。そういう生き者もいるんだということだろう。勝負事全般何をやっても強い。一時は競輪の車券で飯を食おうという勢いだったからね。ただ何かでとことん行くわけではない。自分で納得のいくようなある程度行くと冷める。ゴルフとか金儲けとか乗馬とか、極めたいとかは思わないのね。あえて言うなら極めたいのは「生きる」かな?


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