相場の都合と自分の都合

2015年10月17日
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株式投資


相場のことを自分の都合で考えるなとはよく言う。上がるだろうとか下がるだろうとかそれは相場の都合で動くから思い通りになりっこないということだ。

それは確かにそうだろうが、では相場の都合に合わせるとはどういうことだろうかね? 実は都合も何もないのじゃないか?

先のことなど誰もわかりっこない。上がるなら買うとか下がるなら売ると言うのも聞こえは良いが怪しい言い方だ。上がるか下がるかわからんのだから。トレンドに従う? これもなんか知ったような言い方だが先のことなどわからんということはトレンドは過去の話だろう。皆パッと聞いて分からん話である。

こういう話にはわたしの直感は拒否反応を示す。経験的に良いものと言うのは出会った時に瞬時に分かるものだと知っているからだ。音楽、本、映画、絵画、たまに瞬時に分からないものもあるのだが、それは合わないということで深追いする必要はない。

であるなら良いものでないか、あるいは合わないものだとわかった以上はそれで終わりである。それを頭でひねくり回して理屈ではいいはずだとかそう考え出すと見えるものも見えなくなる。つまらない映画だと思ったがよく考えたら感動したなんてないということだ。

それは間違っているという指摘もあるかもしれないが、間違っていてもいいのである。合うか合わないかそれはその人間によるし、そもそも相場という戦場と言うか狩り場に向かって人様に間違っているという言い草をする時点で多分分かっていない。虎が熊に向かってお前の狩りの方法は間違っていると言うだろうか? 勿論喋れないので言うわけないがそれで食えるものケチなどつける必要もない。間違っているなら相場がそういう結果を出すだろう。野たれ死ねば良いだけのこと。

ということで相場の都合もよくわからんし、自分の都合じゃダメとなるとどうすればいいかと聞かれそうだが、自分の都合で相場がうまく動くと期待しなければいいだけである。

自分の都合で自分が動けばいいのである。金儲けをしたいなんて、そりゃ自分の都合以外の何物でもないので自分の都合であるのは当たり前だ。では自分の都合とは? それは直截的に言えるのは他人様の不都合である。不都合な人間が多いということはそれだけチャンスだと言うことだ。

不都合な人間と言うのは探すコツがある。例えばある獣道のあるポイントは岩が多くてカーブも奥に行くほどきついから雨が降った時には滑ってはみ出したりバランスを崩す鹿がたまにいる。だから雨の日はそこでじっと待っていれば獲物が向こうから飛び込んでくることがある。そういうのが狩りである。大切なことは必ず飛び込んでくるわけではないということ、そして飛び込んでこなかった日はただ家に帰れば良いという安全が確保されていると言うことである。自分も鹿と一緒になって危険を冒す狩人はまあ長続きせんだろう。世の肉食動物というのはそうやって自分なりの狩りのスタイルを持っている。

今日は湘南の知人宅で知人が集まって江ノ島の花火大会を見ながら飲み会をするという企画である。我が家からグリーン車で乗り換えなしで到着するので楽である。マンションから花火がよく見えリッチである。

同時に駅に近いのでホームも見える。花火大会も他所にスーツに身を包んだ労働人が行き交う。その姿を見てるとなんだか自分のために働いてくれているような気になってくる。ご苦労様と心から思うね。

それを聞いてこのマンションに住んでいる悠々自適の知人が大笑いしている。まさにその通りと。成功すると世の中自分の都合に合わせて回っているような気になる。頼みもしないのに。そういうもんである。やはり自分の都合でいいのである。
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Comments 2

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のんびり行こうよ  

No title

共感するものがあります、相場は相場に聞け・相場に従う、何だろうと思うのが普通の考えです。相場は多くの方の心理がうごめいて組成されます、だから神でない限り予想など完璧にできません。それでよいと思うのです、各自の判断でやるしかないのです。

2015/10/17 (Sat) 20:35

ハルトモ  

No title

多分相場から聞ける人もいるのかもしれませんけど、自分はその気はないということです。

それから、やらないという判断もいいですよね。

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