買うと頂くの違い
2015年10月11日
頂き物とかお土産が多い我が家はそれで食卓が豊かになる。
これにかみさんが出し巻きと納豆と野菜とそれになめこ汁を作ってくれて今朝の朝食となる。加えて佃煮や漬物も多いがそれらも大抵は頂き物かお土産で、どこかの名産品だ。お付き合いが豊かだと食卓も豊かになる。それで食べながら頂いたものの話、送ってくれた方の話など会話もはずむわけだ。食育という言葉もあるが、我が家の食卓では自然とそういう会話を聞いて娘は育ってきている。私のかみさんもそのように育ってきている。多分かみさんのお母さんも。
経済的な裕福とは違う話だ。親戚同士とても仲が良く、仲の良い友人もたくさんいて、そして隣人とも良いお付きあいをして、そしてなおかつお金は困らない程度の余裕があればそれで十分なんであろう。
児童養護施設にいる子供たちの家庭を考えるに、この良いお付きあいという面で著しい差があるんだろうと思う。まず夫婦仲が悪い、で持って片親になったり、また悪いとまで行かなくても歪だったり、窮状に手を差し伸べてくれる親戚もいない。隣人とのおつきあいも余裕がないからまともにできない。本当に助け合える長年の友人も少ない。いてもお互い余裕がない。どこか旅に出てお土産だ贈り物だというのはない。
ということで食卓は自分でどこぞのスーパー、コンビニで買ってきたものしか並ばない。その自分で買ってくるものだって、我が家とはだいぶ差があるだろう。
ひょっとして裕福でも豊かな人間関係に恵まれていないならそれは豊かな暮らしとは言い難いのかもしれない。確かに日本や世界の名産だろうがなんだろうが、金さえ出せば手に入る。だがわざわざ買うか、という話と、そしてそれを買った食卓に並べたところで、何を話すとだろうか? と考えると、頂けるというのはお金では得られない喜びということだと思える。
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