見栄っ張り

2013年01月16日
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日々の雑感ーリタイアライフ
NHKのあさいちを見ている
今日のアサイチの特集は「見栄」
奥さん同志のお付き合いで
高価なジュエリーを買ってしまったり
また子供に高い習いものをさせたり
これで借金が膨らんでしまう人間がたくさんいるとのことだ
 
つまり見栄っ張り
見栄っ張りというのはコンプレックスの裏返し
他人の視線を強く意識する人間の行為で
他者からの評価を気にする結果である
 
自分の見栄を張らないとコントロールできても
子供のこととなると見栄を張ってしまう人間も多いようだ
子供にだけは恥ずかしい思いをさせたくない
これはなんとなく肯定的なイメージがある感情だ
ところが、そこにあるのは
本当に子供が感じる恥でなくて
自分の恥だ
結局自分の話なんである
 
なんで恥ずかしいのか?
 
人と横並びでないと恥ずかしい
人と違うと劣等感を感じる
それで疎外感を感じて
引け目を持つ
そういう気持ちだ
 
わたしは
他人が自分のことををどう見ているか
かなり理解しているほうだと思うが
 
だからと言って、よく思われようと思わない
つまり他者の評価でなく
自分の評価(納得)で生きている男である
そのうえで
他人と横並びなんて全然興味がない
人と違うほうが嬉しいくらいだ
 
だから見栄っ張りには無縁だと思うが
その代わりというわけではないが
 
成金のあさましさで
自慢するという性癖を持っている
普通にしていても、だいたい話が自慢げになってしまうのだ
自ら築いたもなんで誰にも遠慮する必要もないだろうと思ってしまう
 
だが、これもまだわたしが血気盛んだからで
たぶん10年-20年くらいするとだいぶ変わるだろうなあと思っている
(だから長生きせねばいかん)
成長して自慢する必要がない境地に行くことだ
だがこれはわたしにとって高い境地だ
 
ただ自慢しないだけなら
そういう人はたくさんいる
代々の金持ちなど、まずもって金持ちだと自慢などしない
なぜかというと見栄っ張りと同質のメンタリティがそこにある
他者の視線を気にしているからだ
他人からどう思われるか、それを気にしている
変に自慢して妬まれたり、損が多い
代々の金持ちはそれをよく知っているから
貧乏人の視線をちゃんと意識する
言い方を変えると
貧乏人を下に見ているとも言える
 
そもそも
自慢というのは少年の心だと思う
小さなな子供は、見て見て、これ凄いでしょう
屈託なく、自慢をする
大人がそれを見て腹を立てることはないが
それは他愛もないからだ
もし小学生の子供が
「僕はいつも海外にはファーストクラスで行くんだ。
おじさんはよくエコノミーなんかに乗ってられるね」
と言われたら、どう思うか?
「この、馬鹿ガキが。。
でめえの力でもないくせに」
てなもんだろう。
だから、自慢を避けるように躾けていくわけだ
 
わたしは幼少でまだ家が富裕なころ
幼稚園に
おじいちゃんの専用車で
専属の運転手が運転する車で
通学していた時期がある
 
家は静岡の一等地に数百坪の豪邸だった
そこで幼稚園では
家のことや車のことなどあまり友達に話さないように言われたのだ
「そうできない人たちも世の中にたくさんいるの
ハルトモちゃんは恵まれているの」
だからそういう人たちの気持ちを考えると自慢するのは良くない
となるわけだが、
どう思われるか?
なんだか、貧乏人を下に見ているように思われないか?
 
わたしの場合は幸いというかなんというか
その後児童養護施設に行くまでに経済的に急降下するので
そういう躾は無用になったわけだが
それでもそう言われたことはよく覚えている
 
だから、わたしが目指すものは
「己の欲するところに従えど、則を超えず」
この心境で、自慢を超越する境地に行きたいわけだ。
他人を意識して
ただ自慢をしないだけ、とは意味が違うのだ
 
なんとなく一応そういう方向には
だいたい向かっているのだが、
そうとう長い道のりだな
 
 
 
 
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Comments 3

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アユ  

No title

私も幼少期、祖父の別荘に住んでいました。小2で追われ、以後はアパート住まいでしたが、貧乏でものんびりした性格に育った気がします。

2013/01/18 (Fri) 08:33

ハルトモ  

No title

のんびり育たれたら、そんな貧乏ではないのでは?
金がないのと貧乏はちょっと違います。

2013/01/18 (Fri) 09:47

アユ  

No title

そうですね、一応両親いましたから良かったのですね。

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