戦争を始める理由

2015年05月23日
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日々の雑感ーリタイアライフ
安部首相の演説をテレビの録画で見た。国民生活に重大な影響、たとえば停電であるとか生活物資の供給が滞るとかの場合にはその原因を起こした国の敵対行動と見なして軍事行動はあり得るとわたしには聞こえた。要は日本に対してふざけた行動をとる勢力に対して容赦しないぞということである。言い換えるなら日本という国の面子を重く考えるということだ。これは支配者階級独特の考え方である。

庶民は自分の生活が一番だから日本の面子なんて考えない。だが安部さんは日本のリーダーとして日本の面子は捨てられない。たとえ自国民を戦争に巻き込もうと譲れない一線があると考える。それは日本という国家の指導者であるという勝手な思いこみからくるのであるが本人はそれが自分の使命だと信じ込んでいるので矯正は不可能である。

よく考えればよい。これだけ為政者からさんざん利用されて搾取されて蹂躙されている我慢強い国民が、ちょっと電気が止まったり多少物資が滞ったくらいで、国民の命を危険にさらして戦争という殺し合いをしたいだろうか?

国民はそれくらい全然我慢できる。どうせ戦争となれば死ぬのは安部さんやその身内ではないのである。これが国民の本音のはずだが、うまい具合に為政者に踊らされるのも日本国民の悪い癖で、踊らされているうちになんだか自分の意志だと思いこんでしまう。第二次世界大戦など良い例である。結局バカな国民が熱狂してしまった。

そして日本人は失敗した為政者にあまりに寛大である。なんの責任も問わない。第二次世界大戦で日本人は数百万人死んだ。こんなバカな戦争を起こした為政者一群を日本人はなんにもせず放免している。東日本大震災で二万人死んで1000年に一度の悲劇と言うのに数百万人なら何年に一度の悲劇というのだろう。わずか70年前の悲劇を日本人はもう忘れている。

安部さんは言うだろう。「わたしだって戦争など起こしたくない。平和が一番良い。でも万が一に備えたいのです。この日本という国と国民を守るために。」それをころりと信じてしまう日本人はまったくおめでたいとしか言いようがない。結局民度が低いのである。日本のサラリーマン根性よろしく自分でものごとの善悪を考えることができない。組織に迎合してその組織の中で生きようとする。組織の外には決して視線は向かない。到底シチズンシップなど存在しない。そもそも民主主義に耐えられない民族とおもわざるを得ない。
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