赤ちゃんポスト
2015年04月07日
NHKのクローズアップ現代であかちゃんポストの特集をしていた。ご覧になった方もおられよう。取材の中で児童相談所の職員へのインタビューがあり、そこで複雑で多様な事例に対応できるだけのマニュアルがないので困る、ということを児相の職員が言っていた。それに対してゲストの大学教授が情けないと言う。これだけ複雑で多岐に及ぶ事例に対応できるマニュアルなどあるわけないし、そもそもマニュアル通りにやりたいという根性がおかしい、と言う言葉遣いを彼はしなかったが要はそういうことだ。一個一個のケースは生々しい人生なのである。人生にマニュアルがない以上、その人生に対応する万能なマニュアルなどあるわけがない。
わたしが勤務する児童養護施設でもなにかと言えば子供に対する態度は一律をよしとする。子供の事情に応じて変えるのではなく施設に子供を合わさせる。職員にとってわかりやすい運営をしようとする。これで良いと施設長からそう信じ込んでいる。
この根本的背景は、この業界に指導者層から現場に至るまで共通に存在する、自分で考える力の弱さである。マニュアルがないと自分でどうしていいかわからないという新人が学校から供給されてくる。それで現実に即さないマニュアルが一応ある。また現場での慣例がある。その慣例とマニュアルを叩き込まれてベテランとなった職員はマニュアル=ルールの番犬として年がら年じゅうあいも変わらず同じことをどんな子供にも行う。自分で考える力のある新人も入ってくるが、そういう人間の多くは愛想をつかして辞めていく。残るのはマニュアル信奉者でそれがベテランとなりまたろくでもない慣例マニュアルをこれが正しいと新人に教え込む。その繰り返しである。
高い次元からビジョンや戦略を立案実行するトップマネジメント能力も存在しない。この状況を変えるためにどうすれば良いかと言うと、指導者やリーダーを変えるべきであろう。改革ができるリーダーを置くことである。だがそういう能力ある人間がこの業界に来るというのもまたない。本当に有能な人間は安月給で決められた通りにする仕事など決して選ばないのである。
日本の児童養護体制にいろいろな問題点があることはこれは誰でも否定しないだろう。だがその問題点を施設や児相のあり方にまで切り込んで広く議論する場は存在しない。現場はブラックボックス化している。外の人間では内情はわからない。内部だけでは組織体制の防衛がまず大前提になる。
このブログを読んで驚いている読者諸兄も多いと思うが、わたしでさえ子供のプライバシーに配慮して実態は描ききれない。だが児童養護の現場を、普通の世間の視点から書いてあるブログの存在価値は、ここで批判される施設の人間の保身より社会的にも重要度は高いのではないかとわたしは思っている。
こう書いて勘違いしないでいただきたいが、わたしは目的や使命感があってこのブログを書いているわけではない。気ままに思ったこと考えたことを書くだけだ。ただそううことも言えるなという程度である。
ところであかちゃんポストの話だったが、多くは親とそこで縁が切れる。読者諸兄は実の親がいないのと、いるのとどっちが良いと思われますかな? ろくでもない親でも親は親と思う人は多いのではないだろうか? まあそういうケースは半分くらい、残りの半分はいないほうがむしろ良いのではないかと傍目には思える。親として子供をまともに養育をしない親、そういう親は老いて子供にろくなことをしない。そして子供の足を引っ張る存在となっていく。子供にたかる親というのはけっこういるのである。ちゃんと人並みに病気になってぼけて介護も要るだろう。厄介な人間はどこまで行っても厄介なんである。
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