日銭
休憩時間中に一人花見としゃれこんだ、チェアに鎮座してボーズのワイヤレススピーカーでフォーシーズンズを聴いていると、通りがかった花見客が声をかけてきた。中年のおばさんだ。「写真を撮っていいですか?」だって。「え、わたしの?」「ハイ、とても優雅にお過ごしなんで」どうぞと苦笑いしてあえてカメラ目線でなく自然にしていた。
珍しくあならみさんのところに長文の書き込みをした。半分は読んでいて誰もわからない呼吸法西野塾の話だが、一応株式投資の話がメインでそれでまた返事をしてもいいのだが、自分のブログに書くことにした。
どんなに儲けていても金を持っていても、日銭というのは大切である。日銭と言うか定期的な収入でキャッシュフローがプラスであれば元金は決して減らずに増えていく。そして何よりも心の安寧が得られる。誰でも金が減っていくというのは気分が良いものではない。何か間違える遠因となりうる。資金があって、かつ暮らせるキャッシュフローがある投資家は盤石である。
でどうやって、その日銭を得るかであるが、それはその人なりにやればいい。あらなみさんはすでにサラリーマンを辞めていて株式専業だから給料はないわけで、だからと言う訳じゃないけどデイトレが日銭稼ぎである(そうだ)。でもってデイトレはサラリーマンほどではないがそれなりに忙しそうではある。
わたしは株式投資で日銭を稼ぐ技術はないし技術を苦労して収得する気もないので、株式はドカンと儲けるミサイルという役割で日銭は日銭でやはり段取りするということになる。
なんだかんだ言って日銭の王者は給料であろう。家賃も手堅い(よい物件を持てば)、それから年金というのも強力だ。年金は公的と私的とある。外貨の金利収入というのも悪くない。豪ドル建て債権など優良児であろうが為替リスクはある。
以上、わたしは全部やっているが、どんな方法でも良いのである。その人の才覚なりにやればいいわけで、大切なことは、どれだけの日銭がどれだけの安全度で、かつどれだけの手間暇で確保されているかマネッジしておくことである。日銭の保険も持っておいた方が良い。
サラリーマンの給料は要注意である。ほかのキャッシュフローと性格を異とする。心と時間を売るからだ。もし給料がなくなると頼りなく感じるなら別にキャシュフローが必要ということである。別の日銭があれば、会社で嫌なことを心ならずもやる必要はないから、同じ雇われ人でも振る舞いと心の余裕は違ってくる。そうなればしめたものだ。最強の雇われ人になれる。
あらなみさんはよく総合力と言う言葉を使うが、総合力と言うのであれば別に株式投資でなくてもなんでも良いのである。方法にとらわれる必要はない。
わたしの個人的な感覚なんだけど、株式投資は向かなかったが不動産投資ではうまくいったとか、会社で仕事はできなかったけど相場を張ったら成功したとか、もちろん運不運はあるからあり得ることだけど、向く向かないという言い方をするのであれば、なにをやってもうまくやる人間はうまくやる。株で失敗して不動産でうまく行っているのは将来怪しい。同じく会社で使えない人間が相場を張って儲けても将来は怪しい。できる人間というのはなにをやらせてもちゃんと結果を出すものであるから。
これはわたしの感覚というより偏見かもしれない。
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