組織

2015年03月13日
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日々の雑感ーリタイアライフ
最近は銀行とか証券会社の残高をとんと見ていない。いくらあるか気にしていない。見てもただ数字が並んでいるだけである。さる達人相場師が喝破される通り全て記号である。数字が並んでいるだけでありながら、金を下ろすとちゃんと使えるというのがなんとも奇妙な感じである。

もっともわたしは滅多に銀行に行って金を下すという作業をしない。このまえ銀行で金を下ろしたのは多分数年前だ。ネットで物を買うなどまったくお金を使っている感じがしないが、実際物が来るところを見ると記号が変わってんだろう。

我が家の生活費がどこから出ているのかとかみさんに聞いたら適当に下ろしてくるんだそうだが、前の会社を辞めた時の給与口座、辞めた時に1千万円ほど残高があって(基本ひとつの銀行には一千万円以上置かない)それはとっくに使い切ってしまって今は次の一千万円を使っているんだそうだ。そうやって置いてある金を使うということで、例えば給与とか家賃とか年金と言った定期的に入金されてくる口座は手をつけないので、これらの金は増える一方ということである。

これは気分が良い。毎月入ってくるお金は積み木みたいにそのまま積み上がっていくわけだ。そうなるとお金のために働いているという気分はもともとないけどさらに帰属意識はなくなってくる。組織とか上長への忠誠心というのは、結局自分の金というか収入源を守りたいとという気持ちと一体であり、その金でそのまま生活をするということになれば自分の生活を守るということそのものになる。

そういうふうに金に紐がついていると、頭はどんどん下に垂れる。どうも気分がよくないだろうとわたしは思う。やはり上を向いて歩こうと行きたい。積んであるお金を使っておいて、入ってくるほうは入ってくるほうで、それはそうか、という風情であれば、何やら気分は恬淡としてかつ晴れやかにでいられる。

特に給料は、なんだかんだと言っても雇われているわけだからその金を使うあてがあると考えればやはり行動に影響がでるのも当然である。やはり金というのは使う直前まで記号でいたほうがずっと精神的には健全であろう。だがほとんどのサラリーマンは未来の給料まで記号じゃななくて切羽詰まったリアル感ある存在だから、どこまでいっても働き終えない限り心の安寧は訪れない。わたしの言っていることなどは全然理解できなくて、なんだこの野郎、ふざけた態度だ、ということはなるんだろう。

組織に属する以上上の命令に従うのは当然である。と思う人間はサラリーマンの大多数だと思うが、何故だと問われてわたしが納得するような説明をできる人間はまずいない。組織に従属する人間は、もちろん金の通るチューブを上に握られているから機嫌を損ねてチューブをぎゅっと握られてはいけないという振る舞いになるけど、それ以前に、この命題は正しいとそう思い込まされて大人に育っている。頭から正しいと信じ込んでいる。だからこそなにげに自然にサラリーマンとしてやっていける。

組織なんてどうだっていいんじゃないの? 実際そう思ったところでそれほど変なことにはならない。会社で長く働いたけど、いつもどうやってお客を喜ばすかを第一に考えてた。今の児童養護施設では、どうやって子供を喜ばすかばかり考えている。ある意味、そのための組織でいい。それでそんなおかしな振る舞いにはならないんだよね。けっこうまとも。

ハルトモが言うようにやっていたら組織はめちゃくちゃになる、なんて以前の会社では言われたこともあったけど、別に全然めちゃくちゃにならない。どんどん業績も伸びて、あえて言うならそういうことを言っている人間がおかしくなったね。笑っちゃうよね。

本題を書こうと思って、前振りしたら長くなった。ずっと雑談でひとまず終わる。眠いは。

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