快便の話じゃないですぞ

2014年12月21日
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日々の雑感ーリタイアライフ

写真は本文とは関係ありません 爆

文章を書くとかなにか話すという、いわゆる表現をするという時に、考えていることしか表現できないというのはおよそ妥当な指摘だろう。これは一部の芸術的な躍動は除外しての話だ、天才舞踏家があるいはスポーツ選手が、ひょっとして天才相場師が考えずに体が動くというのはあるのだろうし、私程度の凡夫でもそれは感じることもたまにある。だが日常的に読み書き話している中ではどうかと言えば、わたしのMacBookAirに猫が乗っても文章をなさないのと同様、全く何も考えずになにか文書が出てきたら、それは心霊かなんかでご先祖様でも乗り移ったのかとか、なんかそりゃ特殊だと思わざるを得ない。ということで文章というのはその人が考えていることが、形になって出てくると、そう決め付けるとするとだ、まともな文章を書けない人間はまともに考えていないか、はたまた考えることができないか、そういうことだと言えそうだと思えるが、そう言われて首を縦に降る人間もあまりいないというのもわたしは経験的に了解している。ほとんどの人間というのは自分が書いたり話すことより、実はまともなことを考えているとたぶん思っていて、表現として出す時に、なにか翻訳がうまくできていないから、それでこの程度の文章になってしまうと、まあ平たく言えば、言い訳がましいというか、俺の実力はこんなもんじゃないっていういじましい自尊心と言うか、とにかくビジネスの文章程度でもそうだけど、まともな文章が書ける人間というのは極めて少なくて、サラリーマンを長くしていたけど、言っては悪いが、わたしから見てまともな文章を書く人間というのは、わたしが知る限りだと、まあまあかなってのはミツオ君くらいかな? 彼は頭が良いのだけど視点が多様でなくて決めうちになりやすい。でもそれを含めてちゃんと文章になっていたから、少なくとも言っていること書いていることと思考が自分の中でコンフリクトしていない。これは言い方を変えると、自分の発言に責任を持てるということである。わたしも言っていたことが間違っていたなと思えば、すぐに訂正する方なんだけど、そうするとミツオくんがハルトモを謝らせたたってずいぶん嬉しそうなんだよね。自分が謝っているほうがずっと多いくせに。いずれにせよ、これでようやく会話が成立している関係なのである。彼は今でも時折わたしに会いに来て酒飲み話をするが、別にわたしを慕っているわけじゃなくて、たまには話が通じる相手と話したいという理由だけできてるんだと思う。それくらい話の通じる相手はいないということだ。一方ね、言ったけど、書いたけど、そう言われると実は違います、とか言い方が悪かったですとか、平気で論がすり替わっていくと、じゃあ最初に言っていたのはなんなんだよ、真剣に聞いて損したとわたしなど言いたくなるのだが、たいていのおかしなことを言ったり書いたりする人間はもともと思考の翻訳がうまくいってないだけで、自分の思考自身は全然矛盾していない、一貫しているくらいに思っているもんだから、そこで脳のシナプスは伝達を停止だ。改善も進歩もない。あの人には何を言っても通じないとか、あの人の言っていることはわからないとか、逆にそう思い込んだりするんである。

本を読むというのはわたしも嫌いではないし知的な作業だとは思うけど、でも今はそんなに読みたいなと思うものはないのと、それと面倒なんである。老眼が進んでいるという言い訳も自分には心地よく響く。ちなみに最近は本は印刷を買わないで、ネットで買う。iBooksとかいうやつだ。これだと字が大きてできて読んでいて楽である。映画は今でもたくさん見ている。昨夜プライベートライアンという映画を見た。ずいぶん前に見ていたが、娘が借りたので、かみさんとわたしで一緒に見た。3時間と長い映画だがあっと言う間だ。映画が好きなのは理屈ぽくないというところだ。小説は今更読みたいものがないし、評論とかはそれ自体理屈ぽくしないでくれと言われてもそれは大変難しかろう。わたしはなるべく平易に自分の言葉で書いて、それなりにまともなことを実は言いたいという気はあるのだが、ご覧の通りの文章で、頭の中もそのままというのはこれは認める。理屈ぽくしたくないと思っていたら、書いている文章どころか考えていることまで、理屈爆発系になってきている。ただ思っていることを頭から書き出して、そんでもってそのままここまでこうやって書いてくるわけで、こうやって考えていて、考えている順序までこの通りである。そうでないと長いテキストを毎日量産するというのはたぶんできないだろう。

ということで、理屈ぽい文章はあまり読まないのだが、もちろん面白ければ読む。ブログでも本でもなんでも読んでおもしろいというのが一番大切で、役たつとか勉強になるとか、そんなのはどんなもんだか実は怪しくて、勉強にした気になって、そんなこと言いながら何も進歩しない人間もやまほど見てきているし、自分だってちょっくら読んで勉強した気になるのは甘いくらいに思っいて滅多なことではかわりはしない。今まで人生で読んで自分が変わったと思う本は2冊ぐらいしか思いつかない。でもおもしろいという本たくさん読んだ。読んで面白いというのはこれは虚勢も偽りもなくて自然な感情で、読んで面白いならそれはその人にとって厳然たる真実であるから、わたしは妙な向上心よりこの種の真実性を取りたいと思うわけだ。

そんな理屈ぽいのが好きでないというくせに、お前の文章はなんだ、十分理屈ぽいじゃないかという指摘をする人間がわりといると思うが、はっきり言っておこう。その指摘は的外れである。自分にないものを求めるのが人間の本質的欲求であり、男女の関係も根っこはそこにあるわけだし、もっと下世話に言ってしまえば、お前は痩せているくせにデブな女を愛するのはけしからん、という批判が的外れなのと同じ程度にルトモへの批判は的外れだということだ。

ただ読んでつまらんと言われるとこれはさすがになんなんだ、ということにはなるな。これはけっこう気にしている。売文という言葉が好きである。もともと営業マンだからなんでも売りたいのだ。金はとってはいないが気分は売文家である。ただ金に困っていないからこれでお金をいくらかでもという気はまたさらさらない。どうせ儲けるならドカンとだ。ちまちまやるのは性分じゃない。太く長く格好よくである。排便の話じゃないですぞ。
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Comments 3

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アユ  

No title

私もベンの自信あります

2014/12/21 (Sun) 18:35

shikotama7  

No title

Big Ben 自信あり(^^;

2014/12/23 (Tue) 10:23

ハルトモ  

No title

ご両人、あのですね。だから言ってるでしょ。ベンの話じゃないって。

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