乗ってるやつには敵わない

2014年12月17日
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日々の雑感ーリタイアライフ






猫の話し?

施設で働くたいていの職員は常に自分が子供達を掌握しているという実感がないと安心できない。だから子供の世界に踏み込んで秘密を暴こうとする。そうすると子供はますます隠そうとする。私のように踏み込まず距離を取りながら安心を与えていくと、実は子供から開いてくる。さらに安心が高まると隠さなくなる。隠すことに不都合がなく、むしろ助けてもらえると無意識にわかってくるからだ。子供達は常に大人の視線を意識している。その姿は痛々しいほどだが、働き出して2年、ようやく子供達はわたしの視線を意識しなくなり、空気のような存在になってきた。これを子供から舐められると警戒する職員もいる。確かに最初は増長する。自分のワガママがどこまで受け入れられるか試そうともする。そこを通り越すと、子供達は無駄なワガママは言わなくなり、次第にハルトモ君への気遣いというものを行うようになる。子供達にとって、気遣うべき対象の人間が初めて出てきたというわけだ。そうなるとしめたもので、怒らなくてやんわり言えば理解してくれる。大人の些細な言動に逆ギレもなくなる。他の子供や職員がムッとするようなことを言っても、さらりと流せるようにさえなってくる。最初はわたしのことをバカにしていたベテラン職員も最近は頭ごなしに文句を言えなくなってきた。ハルトモが子供の世界にいて親密に相談しているのを目の当たりにすれば、自分との差に気がつく。自分が知らない話をハルトモは知っている。ハルトモに対抗するわけではないが、だんだん皆優しくなってきている。最初手間はかかるように見えるが、わたしのようになれば結局仕事は少ないのである。子供の動きは掌握して怒る頻度も少なく警戒している必要もない。だから勤務といいながら実はゆったりと構えられる。職員がゆったりとしていると、ますます子供はリラックスするようになる。さらに雰囲気はよくなり明るい家庭に近づいていく。

人生でも金儲けでも仕事でも、好循環というのをよく手の内に入れている人間は、ますます状況がよくなって、最初バカにしていた人間を抜き去り、どんどん差が開くばかりである。こうなるともう逆転はない。負の循環に陥った人間は、自分で選んだ道なのに、人のせいにして、こんなはずじゃなかった、とほぞを噛む。実は勝負はだいぶ前から決まっているのである。中学の時に同じクラスにSというガリ勉がいた。こっちはさほど勉強もしていないのわたしに成績で敵わないのが悔しい。Sはその後早稲田に進学してそして県庁に入った。わたしが不在の同窓会で、俺はハルトモを抜いた、とSは嬉しそうに言っていたというが、後年Sは言葉を失う。40過ぎたあたりで生活の豊かさといい社会的地位といい、Sはわたしにまったく及ばないのである。Sは大学と就職先で人生の勝ち組が決まると思い込んでいた。そういう世界では確かにそれも勝ち組かもしれないが、私はそんな世界に生きる気はハナからなかった。だから進学校の高校で反発したのだと思う。そして結果は吉と出た。もちろん金があって地位が高ければそれで成功と思うほどわたしは単純ではないが、そういうのも一応ゲームとしてやっておくという程度で、それでわたし程度の暮らしはできるようにはなれる。要は人生の軸をどこに置くかである。よく言う、乗ってるやつには敵わない。乗ってるやつは一体いつ乗ったのか、それはたいてい他の人間がそう気づくずっとずっと前のことである。
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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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