朝一番でトップスタートでのゴルフ
早朝ゴルフが終わっているので前に誰もいません
ゴルフして温泉に入ってから朝食です
今はネットとでいろんな人の生活が垣間見れる時代です。それは凄いセレブなブログもあるんでしょう。芸能人のブログとかもけっこう凄い人がいるんでしょうか? 昔はそんなもの庶民は垣間見る機会なんてなかったわけです。金持ちがリゾートでゴルフしてても街で汗水流して働いていれば接点なんてないわけです。見にもいけない。ところが今は簡単に見ることができる、気がする。もちろん嘘か本当かよくわからんって面はあるけど、それは現場を見ても似たようなもんで一見セレブそうで見栄張っている人もいればお金とかトラブルの算段で頭がいっぱいの人もいるわけです。なんにせよ見えてるところから想像するしかない。その材料というか露出は増えているだろうってことです。まあ庶民、特に貧乏人からすると、妬み嫉みの気持ちを煽られるって傾向は高まっているかもしれない。でもその一方で悲惨な生活も晒している人間もまたたくさんいるんで、そっちを見て溜飲を下げるとかで、なんとか言うか、わたし流に言わせていただくと「起伏の激しい」世の中になってきているって気がします。
贅沢を知ることで見えてくる世界ってあるんでしょうか? 高級車に乗ったり高級な服を着たり、あるいは高価な食事を楽しんだり。それなりにあるんだろうなって思いますけど、わたしは強くは思わないです。物はそれほど幸福感に寄与しない気がします。レンタカーで小さな車に乗っても別になかなかいいじゃないって思いますしね。食べるってのはそれよりはインパクトありますけど、その一方でおいしくないって感情も加速させたりするようです。昔は美味しい美味しいと喜んで回転寿司を食べていたのに今は大分で見事な関サバ関アジ食べても、なんかケチつけてるようなブログを書く人間もいるわけです。たぶんわたしはその度合いは小さな方で、美味しくないものを許せないってことになっちゃう人もいる。それって幸せなんですか? これはよくわからない。ただその人が受けとめられるかどうかの器って見方もできるかもしれない。舞い上がって自分の視点を失ってしまえば、それは知らない方がよかったということになるし、自分の価値観とかと整合できているならそれは知る幸せとなるのかなって気がします。
わたしがお金に困らなくなって、それで知った1番の楽しみは何かと聞かれたら、旅だと即答しますね。自由に好きなところに旅をすることができる。旅ってお金がすごくかかるわけです。一晩泊まるだけで結構なスマホとか服が買えるくらいお金が飛んでいく。それで残るのは思い出と写真くらい。でも一番それが大きな喜びとなる。もしも誰か「わたしはずっと家にいて旅行をしなくても幸せです」って言う人がいたら、まあ「知る幸せ」を知らない人なんだなあって思います。旅はどんな安い宿でも安い車でも行った人間に思い出を残すんです。どんなに高級な物を手にいれても思い出にはならない。美味しいものを食べても味なんか思い出とまでいかない。でも旅は絶対思い出となって記憶に刻まれる。もしもそれが愛する人、親しい友、なら思い出の共有となる。いや一人旅でもいいかもしれない。わたしは結婚してから一人旅の楽しさを知りました。幸せな家庭があって、ひょいとでかける一人旅、旅先からLINEをしたり写真を送ったりそんでお土産も買って帰る、なんて幸せな一人旅だろうって思います。
最近はFIREとか流行っています。倹約生活なんてのがセットになっていたりします。まあ別に高い物を買ったり高い物を食べたほうがいいとわたしは思いませんけど、やはり旅をした方が良いとそれは強く思います。旅する喜びだけは、知らない方が良かったってことはないと思います。だって結局最後に自分に残るのは思い出だけなんですから。いつか仙人みたいな暮らしをしたいって夢はあることはあるんですけど、もう溢れんばかりの幸せな思い出に包まれてからにしようと思ってます。まだしばらくは溢れないと思います。
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