ローソン100ってやたらカレーが多い、みんな100円
いなばのカレーも良いけど
ふと目に止まったレトルトで激辛?それも大辛の上ってこと?
なんだろう?ということで買って食べてみました
確かに激辛は辛いけど、100円分辛さで使ってしまったような辛さですな
大辛はまだ食べてない
ご興味あれば続報しましょう
さてズバリお聞きしましょう。あなたは他人の愚痴泣き言を聞くのと、自慢を聞くのと、どっちが好きですか?もしも前者ならお気持ちにゆとりがないということでしょう。実際そういう人が多いからテレビのワイドショーの番組もああいうふうになっています。私は他人の愚痴泣き言を聞くのは嫌いです。(ジョークで言う人は別です。)困っているなら相談に乗りますけど、多くの泣き言を言う人は慰めて欲しいとか自分に同意してほしいから言っているだけです。何か変革して問題を打破するために泣き言を言うわけではない。結局何も起きません。ネットでも愚痴をこぼして慰め合う人達がいますが、リアルな生活が空虚なのかと想像します。
一方自慢話は聞いていてわたしは面白いです。それなりのノウハウとかもあり学ぶ点も多い。なにより会話が明るい。笑いながらこっちも自慢で返せばよろしい。金持ち同士の会話ってそうなりますよ。相手に妬まれたくないからへりくだるだけで、妬まれないとわかっている相手なら普通に本音が出ます。本音で話したほうが面白いです。まあ愚痴も本音と言えば本音か? 笑 でも愚痴って、愚痴で終わらずに不平不満他人への恨みツラミと悪い展開に必ずつながっていきますね。
少年少女の時は、誰でも自慢をします。見てみてと誇らしげに瞳を輝かせます。それが成長の過程で自慢はみっともないものだと大人に教わります。自慢は他人の妬みを買うから損だという知恵を学ぶわけです。北枕の言い伝えみたいなもんです。あれは早起きして働けという意味です。さて自慢はみっともないと学んでそこですることは本音を隠してみせかけの謙虚さを装うことです。わたしが思うに、謙虚というのは、できもしないことをやらないことです。自分に満足せずもっと上を目指すことです。本当に謙虚なら負ける投資などやらないはずです。つまり自分に謙虚でなきゃいけない。でも多くの人は謙虚の意味を履き違えて他人にへりくだることと同義にしてしまう、挙げ句に自己過信して勝てもしない投資を傲慢にも行う。
普段は自慢をしないで本音を隠す人でもわたしは上手に自慢話しを引き出しますね。愚痴を言おうとしても話を自慢に持っていく。なにかしら自慢することあるでしょう、そっちを聞かせてくれってなもんです。それで上手に相槌打って乗せてあげたら楽しい会話になる。泣き言を言えば言うほど暗くなっていきます。聞いてもらって気が晴れたとかいう人いますけど、あれは勘違いでしょ。ネガティブな言葉を発すれば必ず負のオーラで体が包まれます。晴れっこないです。むしろ誰かの不平不満をぶちまけるんではなく、あの人もご苦労だねえとか、よくやるよねとか、一緒に笑ってあげればいいんじゃないでしょうか? そのほうがまだ気持ちが明るくなる。わたしはそれがハッピーに生きるコツだと思います。
さてわたしはどうかと言うと、ブログに書いてあるように四六時中自慢していると思います?するわけないでしょ。聞きたくないって人だっているんだし、よく知らない人に自慢するわけはない。ただこのブログの読者はわたしの自慢話が好きなんです。よくできた凝った味わいのある自慢を毎日読みに来ようと言う方が結局常連になっていくのです。わたしのブログを嫌うのは心に余裕がない人達です。来なくてよろしい。ハルトモの自慢なんて笑い飛ばせばよろしいのです。そのために面白おかしく書いているわけです。ということで自慢の裏に隠れた本質を読み解く力があり、かつ人の自慢を聞いて笑ってあげる心の余裕のある方がわたしのブログの読者のステレオタイプです。だから書き手と読み手で全体に明るいブログになるんだと思います。
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