人を羨み妬む気持ちはよくわかる
2020年06月23日
わたしは自分の生い立ちもリアルに書いている。多感な少年ハルトモは悲しく辛い経験をたくさんした。その経験を原始心象風景として生きてきた。わたしの人生を振り返ると、妬みという言葉と切り離せないと、今は素直に認めることができる。だが若きわたしは、妬みを論理的な不合理と社会の矛盾という言葉で消化しようとした。なにも難しくない。自分よりバカなくせに、家が裕福という理由でろくな苦労も知らず良い生活をしている連中は不当であるという主張である。だがこれは立派な妬みである。だいたいおつむだって親からもらったものだ。


自分の幸福感が十分でないから、他人を貶める方向に自分の気持ちが向かうのである。結局のところ、この浅ましい妬みは、自分が儲けることで払拭された。もし自分が儲けなかったら、わたしは妬みを払拭できただろうか?それはよくわからない。確かに幸せな家庭を得ることで人を羨む気持ちは大幅に減るとは思うけど、それがどれだけ寄与したか切り分けなどできないのである。
辛い思いを知らない人からするとハルトモはしゃぎすぎと思われることはわかっている。でもわたしは嬉しくて嬉しくて仕方がない。あんな悲しいハルトモがこんなに幸せになったと。と同時にこんな夢の実現もあるのだと、わたしと同じくらい妬みに塗れた人たちに成功の可能性を忘れるなと伝えたい気持ちもある。一方わたしがブログを書くことで多くの悪い感情を買っていることは自分でも意識している。言わずとしれた、妬みである。
心のどこかで、わたしを妬む彼らを憎めない気持ちがわたしにはある。憎みどころかノスタルジアを感じる。彼らは一歩間違えればわたしが歩んだ道であった。若き妬みを持って生きるハルトモは年老いてもいまだに人を妬んで生きていたかもしれない。ただ儲かったという下世話な事実で人間性が岐路に立つとしたら、人間というのはどれくらい不安定で頼りなき存在か? つまり人間性の良い悪い高い低いなど大した話ではないのかもしれない。


栃木ゴルフチャレンジツアー二日目。今日はプロテストの会場にもなる千成ゴルフクラブ。わたしはいつもの80台であったが、今日はかみさんのゴルフが冴えた。昨日とはうって変わってショットが冴えて、小技もきまる。スコアは46、47で93。チャンピオンコースを見事攻略した。夫婦でゴルフする人たちは多いけど、かみさんがけっこうやるぞという人はそんな多くない。一緒に回っていて楽しい。
でもね。一番何が嬉しいかと言うと、ずっとかみさんを見ていられることだ。わたしはかみさんをいくら見ていても飽きない。ナイスショットならなおさらだ。金なんかどうでもいいという気分になる。でも金がないことには今のような暮らしもないんだよね。
なにせ妬みとか羨みとかとは無縁の生活だけど、たまたまネットでわたしを妬む人間が現れることで、今更ながら自分の幸せを感じる。本当に幸せな人は自分で幸せなんて言わない、わたしを揶揄するあるかたコメントが妙に引っかかっていたが、こうやって書いてくるとなんだか見えてきた。確かにわたしは自分で自分が幸せだ、とは言いません。わたしは叫ぶのです。なんて自分は幸せなんだと。うるさいですか?ごめんなさい。
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